長距離ドライブ アクション編

先月のシルバーウィークに計画した長距離ドライブを、この10日(土)から12日(月)の3連休で実際に走ってみました。
ドライブのお供はカーステレオから流れてくる私のお気に入りの音楽。
初日はこれ。
ベラの軽快なバンジョーに乗り走りに走って596km、温泉津温泉の長命館駐車場に午後1時過ぎには到着しました。早朝4時にスタートして、7時過ぎに中国道の社PAで、10時過ぎに七塚原SAで休憩しましたが中国道は本当に空いていて実に走りやすかったです。なお、七塚原SAは1984年の夏、初めてマイカーで長距離ドライブをした折、駐車場で一泊した想い出の場所。「みよしの」というレストランも当時のままでした。

Drive

Drive

http://www.allmusic.com/album/drive-mw0000196606
ここの駐車場の横の木の下にひっそりとあるのが維新の志士、芸州御手洗出身の新谷道太郎翁の像です。今回は写真を撮ってきましたが、そうですか坂本竜馬と一緒に高杉晋作を訪ねたんですか。そういう方が昭和16年、太平洋戦争開戦の年まで、96歳という長命でこの地にお住まいになりお湯に浸かっておられたとは。伺ったところではとても信仰の篤い人だったとか。長命館という宿の名もひょっとしたら翁から来ているのではないかと思ってしまいました。

以下、澤井常四郎『維新志士池田徳太郎補傳』(澤井の『維新志士池田徳太郎』(昭和9年刊)の出版を悦んだ新谷道太郎翁の懐旧談を記録したもの。当時、翁90歳。昭和10年刊)より抜粋。

慶応3年2月、坂本龍馬は容堂公の命を受け薩長連合の大策を行おうと、土佐を出発して私の宅に来た。
私は龍馬の依頼に応じ行を共にすることを承諾した。海路馬関を目ざし折からの東風に関前灘を矢の如く走りその晩下関に着いた。一日に七八十里走ったのである。
上陸して知人の宿に泊り、高杉晋作のことを聞くと、二丁と離れない山の手に夫婦のみの二人暮らしであるが、行かれた處で容易に逢われる人ではない到底駄目だろうと言った。
翌日二人で玄関を訪れると、年の頃四十歳位と思われる中背の男が出て来て『高杉晋作はわしじゃが坂本龍馬に相談は受けぬ朝敵国賊帰りおろう。』とどなりつけて取り合わぬ。二人は挨拶もそこそこに此處を出で『どうだ坂本君あの勢いではものにならぬ、つまらぬではないか。』『いやつまらぬものをつまらせるのじゃ、マアわしに任せて置け。』というようなことでその日一日をあちこち見物に暮らし、翌日朝食もそこそこに再び高杉を訪れた。このたびは女の人が取り次ぎに出たので、昨日の通り来意を告げるとその後に高杉が出て来て『よう来てくれた、是非話したいことがある。サアどうぞ奥へ』とまるで昨日と打って変わった挨拶。それから奥へ通り愈々話を進めることになった。
高杉は『兎に角桂小五郎に話して見るから明日もう一度来て呉れ』ということで、その日はそれで辞し、翌日訪ねると『大体においてよかろう桂も俺も同意見じゃ。だが薩州の方はどうじゃあの方が決定しない間は毛利候へ申し上げる訳には行かぬ。』『よろしい薩州の方は何とか運動してみよう』ということになり、坂本は薩摩に向かった。
(中略)
3月18日恰も全島桃の花に包まれて、遊覧客に賑わう時土佐の坂本、薩州の大久保、芸州の船越、長州の木戸が私の宅(御手洗)へ来たり、約束通り花見の宿を頼むと言うことであった。それから3日間寝るのも起きるのも四人一所で、何やら頻りに話していたのである。
何ぞ計らんこれこそ天下を覆す大策を練っていたのでこの時薩長連合が成立し土芸二藩がこれに加わるという誓約をしたのである。
(中略)
四藩の和親を取り結ぶにはこれまで坂本中岡等を始めとして志士の奔走によって問題は漸次進展しておったが愈成功というまでにはなかなか困難で行き悩んでおった。
それで池田先生(徳太郎)は自ら長州に説き更に薩州に説き、密々の間に尽力せられたのである。その結果11月に入り薩長両藩から主命により数名のものが出張することになっているから、私にすぐ御手洗に帰っておれとの池田先生からの伝言であった。
それで私は11月2日に帰宅して待っていると翌3日の12時頃から池田先生、加藤多一、高橋大義、船越洋之助、星野文平が来たり、間もなく薩州の大久保一蔵、大山格之助山田市之丞の三人。長州からは桂準一郎、大村益次郎、山縣狂介の三人。土州からは坂本龍馬後藤象二郎が来ての大集合となった。3日は会合して酒を飲み夜を更し、何事もなくて寝に就き、4日早朝から5日6日まで協議の結果愈合同の決議ということになった。

http://www2.tiara.cc/~wakimoto/main/tadanoumi/eid52.html

司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んでからもう随分なるのですっかり忘れてしまっていたのですが、何とこの新谷翁、ちゃんと勝海舟の若党として登場していたんです。流石は司馬さん、翁の懐旧談をどこかで探し出して読んでおられたんですね。以下、文庫版の第4巻「神戸海軍塾」の冒頭の箇所です。

新装版 竜馬がゆく (4) (文春文庫)

新装版 竜馬がゆく (4) (文春文庫)

坂本竜馬は、まだかえ」
幕府軍艦奉行並海舟勝麟太郎は、寝ころんで庭のさるすべりをながめている。
「はっ、まだのようでございます」
若党の新谷道太郎が、控えの部屋からこたえた。
座敷に、潮のにおいが吹きこんでくる。

「神戸というのは、まったくさびしい漁村だった」
と、昭和十年代まで長生きしたこの新谷道太郎翁は後年、語っている。

慶応4年3月9日、戊辰戦争江戸城に迫る官軍の総大将、西郷隆盛と、勝海舟の使者として駿府城にやってきた翁の剣術の師匠、山岡鉄舟が会談した有名な場面にも、翁は官軍側にいて同席していたそうです。きっと『翔ぶが如く』の中にも登場されていることでしょう。

私は命によって、伊勢の藤堂藩の六百名の俘虜を始末するために京都に残っていました。ところが急に命令で、駿府の官軍の様子を聞きにゆくことになり、三日間で駿府に着き、お城の前の大文字屋という宿に入ったのです。ここに参謀本部が置いてありました。西郷さんに会って、様子を聞きました。そして、その時、ちょうど山岡鐵舟先生が来られたところだということも聞いたのであります。山岡先生は、私が六年間剣道を教わった師匠であります。
西郷さんは「山岡をこの場でぶち斬るつもりだが、どうか」と聞くので、私は「お勝手になさい」と答えました。そして様子を窺っておりますと「山岡さん、官軍の陣中に入って来るとは不届きだ、軍法に背く。手打ちにするが覚悟はどうか」「もとより覚悟で參りました」山岡先生は首を伸べられました。西郷さんは刀を抜いたのですが、峰打ちでたすけた。「いかがでおたすけになるのですか」「山岡君、君は男だな」「もとより男です」「男なら話を聞こう」というので、西郷、山岡の会見がはじまったわけでした。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~mutoryu/page1/siryo/sintani.htm


翌日は温泉津から江津を経て浜田に至るルート9と浜田から益田を経て萩に至るルート191。日本海の海岸線沿いを寄せる波の音を聴きながらの142kmのドライブでした。
このドライブにピッタリだったのがこれ。
映画「ローカルヒーロー」の舞台は Scotland 北部の寂しい漁村でしたが、このCDから流れる波の音が波打ち際のドライブと見事にマッチ。いつもながら江津でのBGMには驚かされてしまいます(2005年の前回はTOTOがSCで流れていました)。
今回、4年振りに走ったのですが、それでも随分と沿線の光景が変わっていました。例えば、巨大な風力発電の風車が何本も浅利海水浴場に建っていたり、前回ガソリンを入れたスタンドがつぶれていたり。高速道路が通じても、ルート9沿いの江津の街並みは一段と寂れたような気がしました。やはりMさんはここには居ない。浜田市内を走っている時すぐ後の車によく似た女性が乗っていたからではないですが、間違いなくMさんは浜田に住んでいると確信しました。

Local Hero (1983 Film)

Local Hero (1983 Film)

朝8時ちょっと前に出発して午前中に大屋窯に到着したので、まずカピン珈琲の出張喫茶で一服し、その場でカピンボルとビアマグ、いずれも濱中史朗氏の作だと思われますが、勢いでいくつか購入しました。それでも白いビアマグは二人の息子への土産としてもう1つ買っておけば良かったと帰りのドライブ中反省しきり。計画性の無さは相変わらずで、次のセールの時にまた来たいと思う次第です。
 
大屋窯でいろいろ見て購入してから商店街の萩焼まつりを覗いたので、ここでは買物はせずに済ませました。窯元の天鵬山は出ていなかったようです。
その後、賑やかな松陰神社など萩市内を見て廻りました。確か高校の修学旅行で来たはずなのに全く記憶がなく、ちょっと不思議な気持ちになりました。

後で Google マップPanoramio でこのような写真を見ると、東光寺には立ち寄るべきでした。
途中ふらりと入ったのが和食れすとらん中村という処ですが、これがなかなか旨かったので、今度はウニをいただこうと夜もお邪魔しましたが残念なことに売り切れ。ウニは夏場が美味しく、そろそろ苦くなるとのことでした。
この日の宿は普通のビジネスホテルでしたが、大浴場やサウナ、そして東萩駅前のマンションから丸見えの何ともおおらかな露天風呂など大いに旅の疲れを癒すことができました。萩ロイヤルインテリジェントホテル、なかなか良かったですね。また泊まりたいです。

3日目はただひたすら690kmを走るのみ。朝4時過ぎに出発。山口ICから途中濃い霧の中を走ったりしましたが、この中国道では岡山県に入る位まで他の車が走っているのをほとんど見かけませんでした。
帰路を突っ走る時にピッタリだったのがこれ。
何と言ってもタイトルが Glide だから車も滑るように走っている感じがしました。
Glide

Glide

http://www.allmusic.com/album/glide-mw0000793458
このアルバムでロドニー・クロウェルが自作の曲 Long Hard Road を初めて歌ったそうです。私はこれを繰り返して何度も聴いたのですが、やっぱりNGDBのバージョンの方がいいような気がして、次回はこちらを聴きながら走ってみたくなってしまいました。こちらのアルバムは初めてアメリカ旅行をした際にカセットを購入したのですが現在、残念ながら手元にありません。

http://www.allmusic.com/album/plain-dirt-fashion-partners-brothers-and-friends-mw0000325819

Long Hard Road (The Sharecropper's Dream)


Way back in my memory there's a scene that I recall
Of a little run-down cabin in the woods
Where my dad never promised that our blue moon would turn gold
But he laid awake nights wishin' that it would.


When the world was on our radio, hard work was on our minds.
We lived our day-to-day in plain dirt fashion,
With ol' overalls and cotton balls all strapped across your back
Man, it's hard to make believe there ain't nothing wrong.


But momma kept the Bible read and daddy kept our family fed,
And somewhere in between I must have grown
Cause someday I was dreamin' that a song that I was singin'
Takes me down the road to where I want to go.


Now I know, it's a long hard road


Sometimes I remember when I stay up late at night,
When the sun-up came, we got up and went
In the shadows of a working' day, our moonlight hours spent
Singin' songs along with Gramma's radio.


Now I'm beatin' down a ol' blacktop road, sleepin' in a sack,
Livin' in my memories all in vain
'Cause those city lights ain't all that bright, compared to what its like
To see lightning bugs go dancin' in the rain.


Momma played the guitar then, and daddy made the saw blade bend,
And raindrops played the tin roof like a drum.
But I just kept on dreamin' that a song that I was singin'
Takes me down the road to where my name is known.


Now I'm gone, and its a long hard road
Yes, I know, Its a long hard road.

http://www.nittygritty.com/music.html?dd_id=31

Amazon UK の Peter Durward Harris さんのレビュー。

Plain dirt fashion, the first album here, dates from 1984. While the music of the Nitty Gritty Dirt Band always had country influences (not forgetting their bluegrass album, Will the circle be unbroken?), this album was the first to put them in the country mainstream. There are wonderful country cover versions of two songs that may be familiar to rock music fans, these being Two out of three ain't bad (Meatloaf) and Cadillac ranch (Bruce Springsteen). Of the other songs, it's hard to pick out which are the best, but the opening track (Long hard road - the sharecropper's dream) is a very touching Rodney Crowell song, while other highlights include Face on the cutting-room floor (co-written by Steve Goodman), Video tape (written by Steve Goodman), I love only you and High hopes; however, the whole album is very enjoyable.

Partners brothers and friends, the second album here, dates from 1985 and was the follow-up to Plain dirt fashion. Dedicated to the memory of Steve Goodman, it includes a song that he co-wrote, Queen of the road. Similar in style and quality to its predecessor, the great songs here include Other side of the hill, Home again in my heart, Old upright piano, the title track and Redneck Riviera.

Because of their long history of recording in a variety of styles including rock and bluegrass, some people have always doubted the Nitty Gritty Dirt Band's country music legitimacy. These two albums surely dispel any doubts regarding their ability to record mainstream country. While these albums had a contemporary edge, they had more of a traditional feel than some of the music coming out of Nashville then and since.

http://www.amazon.co.uk/Plain-Fashion-Partners-Brothers-Friends/dp/B00017LVSC/ref=pd_rhf_p_t_2