死者の書

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

折口信夫死者の書」 全25回
朗読:林嚝子
テキスト:「死者の書」(青磁社 1943年)

小説「死者の書」。
これは、エジプトの記録でもなければ、チベットの祈りの話でもない。日本の、折口信夫(釋遑空)の小説である。作品の舞台は、古代の奈良・大和盆地。天武天皇の子・大津皇子は「謀反の疑い」で持統天皇によって死に追い込まれる。
それからおよそ100年、二上山に埋葬されていた大津皇子の霊が目を覚ますところから物語は始まる。
「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。真っ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの淀んでくるなかに、目の明いて来るのを、覚えたのである。・・・」
作家・折口信夫は1887年(明治19)大阪府木津村(現大阪市浪速区)に生まれる。小学生の時、叔母から贈られた本の見開きに自作歌を記したという。1900年、訪れた飛鳥坐(あすかにいます)神社で藤無染(ふじむぜん/浄土真宗改革派僧)と出会う。短歌を詠み、言語学を学び、民俗学柳田國男を知る。30歳の1916年、「万葉集」(口語訳/全20巻)を刊行。1925年、初の歌集「海やまのあいだ」を発表。それまで属していた「アララギ」を去り、北原白秋らと歌集「日光」を創刊する。1932年、日本民俗協会設立に参加。
折口信夫は、国文学者・国語学者民俗学者、詩人・歌人の顔を持つ作家である。1953年(昭和28)没。
死者の書」の続きを見よう。藤原南家の郎女(娘)が女人禁制の二上山に向かう。人の現世と仏の浄土の狭間を超えて言霊が交錯しながらストーリーは進み、こう結ばれる。
「郎女は・・・織物の衣に、夕に見た幻を描き始めた。・・・画面にはみるみる、数千地涌の菩薩の姿が浮き出てきた。其は、幾人の人々が同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。」
死者の書」が世に出たのが1943年(昭和18)。日本は日中戦争・太平洋戦争の泥沼で喘いでいた。同年秋の学徒出陣パレード。「死者の書」を抱えて戦場へ散った学生も少なくないと言う。ヒロシマナガサキの悲劇、そして今、フクシマの惨状。「死者の書」は、私たちに「生きるとは何か、死ぬとは何か」を問いかける。多彩なお盆の風物詩が見られる日本の8月、これは全国の朗読ファンへの贈り物である。

http://www.nhk.or.jp/r2bunka/roudoku/1408.html

松岡正剛「千夜千冊」143夜(2000年10月04日)
http://1000ya.isis.ne.jp/0143.html