障害と高齢の狭間から

上野千鶴子さんの「障害と高齢の狭間から」。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2976
文學界2016年10月号

文學界2016年10月号

このエッセイを読んだ上で「文學界」10月号の対談「石原慎太郎×斎藤環 「死」と睨み合って」を読み直すと、石原慎太郎という老作家の本性がよく理解できます。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1610.htm
それは、こうです。
相模原事件の犯人の気持ちが「ある意味でわかる」(自身、障害者差別をしている)石原慎太郎
いつまでも若い(太陽の季節)つもりで「高齢者(障害者)になった自分を受け入れられない高齢者」の代表、石原慎太郎

上野さんのエッセイと石原×斎藤の対談を教えてくれた雨宮さんのブログ
石原慎太郎の葛藤と、相模原障害者殺傷事件の背景を考える」
http://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/the-background-of-sagamihara-incident_b_12239466.html?utm_hp_ref=japan

青木新門さんも本日の日記で「見苦しい」石原慎太郎に触れておられました。

石原氏は斎藤氏との対談の中で、老に対処できなくて「すがりたい」気持ちで斎藤氏に助けを求めている。あの、石原慎太郎が「どうしたらいいのでしょうか」とか「自分に自分がいらいらする」とか「自分はこのごろ鏡にむかって言うのだーおまえはもう駄目だ」と。「若者のつもりでいても、日に日に老いさらばえていくとね、本当に超越者みたいな人がいたら、すがれたらすがりたい」と弱音を吐いている
要するに、「太陽の季節」のまま水平飛行で飛び続けたかったのである。そうかと言って、三島由起夫のように格好をつけて割腹自殺をするわけにもいかない。「太陽の季節」を激賞した江藤淳も、妻に先立たれ醜いほどオロオロして自殺をした。石原氏は、それもできないといった感じ。強者のイメージを抱いていた読者はこの記事をみて驚くに違いない。石原慎太郎も老や死に対処できないのである。
太陽の季節」が終わり着陸態勢に入っているのに「太陽の季節」のまま水平飛行を続けたいのである。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~amitaabha/