イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』

吉田健一訳『ブライヅヘッドふたたび』(Brideshead Revisited: The Sacred and Profane Memories of Captain Charles Ryder, 1945)を今日から読み始めました。

ブライヅヘッドふたたび

ブライヅヘッドふたたび

元々、この訳書は1963年5月に刊行されており、今なら「ブライズヘッド」と表記するところでしょうか。以下、この版に付されていた吉田さんの「解説」です。

 イーヴリン・ウォーは日本ではまだ余り知られていないが、英国では単に知られている以上に、既に英国の文学界で動かせない位置を占めている小説家である。1903年生れで、父は批評家で出版もやっていたアーサー・ウォー、同じく小説家のアレック・ウォーはその兄で、学歴はランシング校からオックスフォード大学のハートフォード・コレッジに入って現代史を専攻した。1930年にカトリックに改宗し、今度の大戦では最初に海兵隊、次に近衛騎兵聯隊の士官になって近東の各地に転戦し、小説、紀行、伝記などを含めて著書は十幾つかあるが、この「ブライヅヘッドふたたび」は1943年12月に負傷して翌年6月に隊に復帰するまでの7ヵ月間に書いて、これが戦後、1945年に発表されてウォーは一躍、大家として英国、及びアメリカの読者層に迎えられることになった。
 作品の読み方というようなことは、これは読者自身の判断によって決ることであって、それに就てどれだけ解説した所で意味がない。併しウォーのこの小説では英国人の生活の一部が描かれていて、その中には英国にしかない習慣や制度が出て来るから、これをこの解説で説明して置きたい。先ず、大学であるが、オックスフォードやケンブリッヂのような古くからある大学は、日本、或はヨーロッパ大陸の大学と違って、それぞれが自治体である十幾つかのコレッジで出来上り、学生は或るコレッジの会員として終始して、その資格で大学の試験を受けて卒業し、各教授も何れかのコレッジに属していてそのコレッジで講義し、又、自分のコレッジに属する学生の何人かを受け持ってその学業を監督して、或る教授の講義が聞きたい学生はどのコレッジのものも、その教授のコレッジまで行かなければならない。オックスフォード、或はケンブリッヂ出身というだけでは足らなくて、経歴などに必ず自分がいたコレッジを明記するのは、こういう事情の為である。
 次に、大学はその大学の名が付いている小さな町にあって、他所の町から相当な距離にあるから、自分の家から通う学生というものは殆どなくて、自分が属しているコレッジの中か、或はそのコレッジが認可した下宿、或は貸家に、コレッジの中でも少くとも寝部屋と居間、二部屋を与えられて寄宿し、晩の食事は多くはコレッジの食堂でするが、自分の部屋でする食事その他の世話をする為に一人で何人かの学生を受け持った校僕というものがいる。この小説にも出て来るガウンというのは、学生が講義を聞きに行くとか、試験を受けるとかする時、それから毎日、外が暗くなってから必ず着なければならない黒い羅紗の一種の上っ張りで、それが絹で出来ていて裾がもっと長い、教授用のを早稲田大学総長の出で立ちをした写真で大隈侯も着ている。このガウンに、大隈侯も被っている黒い、四角い板を戴いた帽子が付いて、この帽子とガウンが大学での正装である。他にまだ細々したことがあるが、この小説と関係がないことは省いて、この小説で描かれている第一次世界大戦直後の頃までは、オックスフォードにも、ケンブリッヂにも女学生というものがいなくて、又そういうものが認められてもいなかったことだけを付け加えて置く。
 それから貴族の制度で、英国で正式に貴族と認められているのは一家の当主とその妻に限られ、その子供達は、長男も父親の後を継ぐまでは平民である。それ故に、マーチメーン侯の長男のブライヅヘッド伯が代議士になることを考えるというのは当然あり得ることなので、現にそういう貴族の長男や次男、三男で代議士になって活躍したものが英国の歴史に何人もいる。それならば、平民である貴族の子供がブライヅヘッド伯などという肩書で呼ばれるのは不思議のようでもあるが、そういうのは儀礼的な肩書(courtesy title)と称されているもので、公、侯、伯の身分のものは大概、他にも幾つかの貴族の肩書があるから、長男はその父親の二番目に高い肩書で呼ばれることになっていて、ブライヅヘッド伯というのは実際はマーチメーン侯の肩書の一つなのである。又、公、侯の次男、三男以下はその姓名の前に Lord という敬称が付き、それでセバスチアンを正式に(というのは、儀礼的に)呼ぶ時には Lord Sebastian Flyte になり、姓と名前の何れかを略す際には姓の方を略して、Lord Sebastian としなければならない(それ故に、この小説の第二部で修道僧がセバスチアンをフライト卿と呼ぶのは、外国人でそういう英国の習慣を知らないからなのである)。
 公、侯、伯の娘は長女以下、凡てその姓名の前に Lady が付き、肩書がない人間と結婚してもそのことに変りはなくて、ただその姓が夫のになるだけである。これも、姓を略して名前の方に Lady を付けるのが本当で、コーデリアもそれ故に Lady Cordelia なのであるが、この呼び方がこの小説に出て来た時には訳しようがなかった。ジュリアがモットラム氏と結婚した後は Lady Julia Mottram になっている。そのジュリアやコーデリアに就て、所々にお目見得ということが言われているのは、これは社交界に出入する資格を認められた家の娘が年頃になると(これは勿論、貴族の家柄に限られたことではない)、そのことを社交界に披露することを意味して、今度の大戦までは毎年、その年に適齢に達したのが国王(或は元首である女王)に謁見する式が行われ、それからはその娘達が社交界の催しに正式に出席することが出来ることになって、そのことを披露する為に各自の家で舞踏会などが開かれたものだった。併し今はこの謁見の式は廃されている。男子にはこの習慣がない。
 英国の家庭での主人側と召使の関係に就ても、一言触れて置いた方がいいかも知れない。ホーキンスばあやが自分が育てた主人の子供達に対しては目上のものが目下のものに使う言葉遣いをして、主人やその妻には敬称を用いるのは、自分が育てた子供はそれが主人の子供でも、自分のものと見做して、それが子供達が大人になってからも続き、そのことが一般に認められていて、それでも主人やその妻は明かに自分にとって目上だからである。多勢の召使がいる家になると、主人の子供達のばあや、給仕長、主人の従僕(valet)、女主人付きの女中、女中頭、料理人などの間に各種の身分の上での違いがあり、誰は誰と同等というようなことがあるが、これは略す。
 この小説を読むのに知って置く必要があるのは大体、以上のことに尽きると思う。もう一つだけ付け加えるならば、英国では晩の食事の後で女達が先に立って応接間に行き、男達は食堂に残って飲み続け、暫くしてから応接間に行って女達と一緒になるという習慣がある。第三部で、兄のブライヅヘッド伯が何か隠しているらしいことを公表するまでは、食堂を出て行かないとジュリアが言うのは、その為である。
    昭和38年3月
                     訳  者

実はこの翻訳を読み終えたら、朗読CDを聴きながら原書にチャレンジしようと企んでおります。

Brideshead Revisited (Everyman's Library Classics S.)

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http://www.randomhouse.com/knopf/classics/catalog/display.pperl?isbn=9780679423003
http://www.guardian.co.uk/education/2006/aug/29/highereducation.ideas
Brideshead Revisited (BBC Audio)

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http://www.bbcshop.com/Drama+Arts/Brideshead-Revisited/invt/9781408400944