中川昭一 という国会議員

この記事の内容が本当なら、とんでもないアル中代議士がいたものです。
こんな人物が、これまで何度も大臣を、それも重要閣僚(農水、経産、財務)を務めてきたとは。いくら二世議員とはいえヒドすぎるし、信じられない。小泉さんではないけれど、ただただあきれる思いです。
政治家はその国民のレベルを示している、といいますが、これまで日本人は酔っ払いに寛容でありすぎたのでしょうか。田勢康弘さんもテレビ番組で「外国の要人が公の場で酔っ払う姿など見たことがない、飲ミニケーションなどといった酒についての日本文化の反映ではないか」と仰っていました。
司馬さんが昔、「学生運動と酩酊体質」という話をされたことがあったけれど、今回のことは日本文化にも関連する事件ではなかったのか、と少し大袈裟かもしれませんが考えました。
この際、プレッシャーに弱くアルコール依存症だった哀れな代議士個人をタタクだけではなく、このような政治家が選ばれ続けた日本という国、あるいは酒についての日本の風土、文化ということについて、もっと反省する必要があると思われます。

<中川財務相>過去にも失態 「酒癖の悪さ」で知られる
                                     (毎日新聞 - 02月17日 21:01)
 「飲酒して閣議に出席した」「飲み過ぎで政調会長の職務ができなかった」。しどろもどろ会見の責任を取って17日に辞任した中川昭一財務・金融担当相は、過去に飲酒が原因とみられる失態をたびたび演じており、国会や省庁関係者らの間では「酒癖の悪さ」がつとに知られていた。盟友でもある麻生太郎首相も認識していたはずで、任命責任が厳しく問われそうだ。

 1月28日の衆院本会議で行った財政演説。読み間違いが26カ所もあり、財務省は「風邪で体調が悪かった」(幹部)と釈明に追われた。しかし、自民党国会議員の秘書によると、中川氏は前日に都内で酒を飲みながらテニスをして持病の腰痛を悪化させていたという。この秘書は「服用した薬と酒との相乗効果が読み間違いにつながった」とみている。

 答弁の際の不手際は以前にもあった。農相時代の06年5月22日の参院本会議。中川氏は原稿を読む途中で何度も言いよどみ、野党から激しいヤジを受けた。終了後は衛視に抱えられるように退席。農水省は、持病の腰痛が悪化し鎮痛剤を飲んで出席したため副作用が出たと説明した。

 昨年10月に政府が「緊急市場安定化策」を決定した際は、会見が午前9時の開始予定から15分ほど遅れたうえ、対策の具体的中身に触れず、正式な発表が昼にずれ込んだ。このためバブル後の最安値を更新していた株安の流れを止められず、「危機対応に甘さがある」(アナリスト)と批判が集中。一部週刊誌が「前日の飲酒が原因で会見に遅刻した」と報じると、中川氏は「会見時間前に登庁していた。(事務方からの)レクチャーが長引いただけだ」と抗議する騒動に発展していた。

 自民党政調会長時代の06年には、都内のホテルで開かれた与党幹事長・政調会長国対委員長会談に遅刻して現れたことがあった。酩酊(めいてい)状態で千鳥足で歩き、ロビーの柱や車にぶつかった。見かねたSP(警護官)に抱きかかえられるようにして会場に向かった。

 政調会長時代にはこのほかにも、酒の飲み過ぎでダウンし、数日間自民党本部に出勤できないことがあった。職務は、当時政調会長代理だった河村建夫官房長官が代行した。

 04年9月の内閣改造経済産業相に再任された際は、「再任はない」と思い込んでいたのか、お別れ会見後、経産省を去り、別の場所で酒を飲んでいた。ところが、実際には再任され、あわてて官邸に向かったが、酔ったまま初閣議にのぞむことになった。

 地元・北海道でも意外な場所での酔態が目撃されている。

 00年6月の衆院選。6選を決め帯広市内の選挙事務所に現れた中川氏は、ふらふらしながら万歳三唱。ダルマに目を入れる際も筆に墨をつけすぎて大きくはみ出し「黒い涙」を流すダルマの目になって周囲を慌てさせた。支持者らには「友達が来ていて夕方から飲んだ」と話したという。


 17日午後7時、中川氏はこの日2回目の会見に臨んだ。目は充血し、疲れ切った表情。辞任理由について「08年度補正予算と09年度予算を通すため」と繰り返し、最後は立ち上がって「長い間、お世話になりました」と頭を下げた。