山口さんと丸谷さんと長谷部さん

本日の日経新聞山口二郎さんのインタビュー記事「団塊世代は食い逃げするな」が載っていました。
以前、東京新聞のコラムでも「世代間対立」と題して同趣旨の文章が載ったようで氏のブログに再録されています。
http://yamaguchijiro.com/?eid=880
このインタビュー記事で氏は、団塊世代を日本の高度成長の恩恵を十分に享受できた最後の世代だとし、一方で、今の若い世代は学校を出て就職し、結婚して子育てをするなど、かつての普通のライフスタイルが共有できない世代だとみています。
正規雇用の比率が高まり低賃金労働の結果、未婚者が増え、少子化も止まらない状態は、若い世代による社会への一種の復讐、とまで述べて、こういう状況を団塊世代は座視しないでほしい、と訴えておられました。
本当に深刻な状況です。
憲法のimagination

憲法のimagination

昼休みに、本日もらった岩波の「図書」12月号を眺めていて丸谷才一さんが、連載している「無地のネクタイ」で長谷部恭男さんの『憲法の imagination 』を取り上げていて、ん、丸谷さんと長谷部さんという取り合わせは珍しい、と思って興味深く読みました。

 上手に大事を論ずる人もたまにはいる。かつての林達夫などはその最たるもので、彼にかかると大問題がじつにおもしろく読めた。ものの見方が鋭く、語り口がしやれていた。近頃この型の評論家としてわたしが注目しているのは長谷部恭男さんである。

ほほう。
丸谷さんがここで、例えば、といって感心していたのが「認識を示す」(「UP」2008.12)。

 一体に政治家の言葉づかいは気色が悪いものだが、その気色の悪さをこんなふうに丁寧に正確に分析し、しかもおもしろがらせてくれた人は今までなかった。天下国家と家庭の事情の取合せもじつに楽しい。ユーモアの才に富む憲法学者なんて、晦日の月とか遊女の誠とかに似た矛盾概念のような感じがして、びっくりする。言葉は人間生活の基本だが、その言葉を手がかりにしてわれわれの文明をあざやかに論じる評論家を一人、新しく得たらしいという認識を示したい。

いやぁベタほめですね。「ユーモアの才に富む憲法学者なんて、晦日の月とか遊女の誠とかに似た矛盾概念のような感じ」という譬えは文学者らしい表現ですが、本当にそうですよね。同感です。こんな憲法学者というか法学者は珍しいでしょう。