トルストイ・クロニクル

トルストイ・クロニクル―生涯と活動 (ユーラシア・ブックレット)

トルストイ・クロニクル―生涯と活動 (ユーラシア・ブックレット)

本日 Amazon に注文。こんな本が出ていたんですね。本書の存在は以下のHPで知りました。
本書は今年がトルストイ没後100年になるのを念頭に編まれたものですが、トルストイの年譜としては、日本では、河出書房新社の『トルストイ全集 別巻』(1978.3)の「トルストイ研究」中の法橋和彦さんが編んだものがこれまで最大のものだったそうで、本書はそれとほぼ同量だ、とのこと。楽しみです。
https://asp005.feedpath.co.jp/cgi-bin/x6419d3ebbd5/db.cgi?page=DBView&did=157
同様にこのHPで知ったエドマンド・ウィルソンの「トルストイについての覚書」(『ロシアへの窓 A Window on Russia』1972 所収)の中にあった『戦争と平和』についての言及から、いいなと思った箇所を、以下引用。

 大学生の時に、わたしは翻訳で「クロイツェル・ソナタ」と「主人と下男」を読んだ。後者にはかなり強い印象を受けたが、前者は馬鹿馬鹿しかった。どちらの作品にも寒々とした読後感があり、以来トルストイとはしばらく縁が切れてしまった。しかし、ソ連に旅行した後、ロシア語を勉強していた折に『戦争と平和』を読んだ時は好条件がそろっていた。わたしは一人でコネチカット州の田舎、小さなミアヌス川のほとりに暮らしていた。ちょっとした森の中で、あたりには他に家も見当たらなかった。夕食をとってから読書か書き物を始め、朝の4時まで床には就かなかった。冬で、たった一本通っている道は雪に覆われていた。わたしはボルコンスキィ家の田舎の屋敷にいる自分をいとも簡単に想像することができた。
 この小説には滑稽な場面が多いので驚いた。ピエールの父親の死、熊とのどんちゃん騒ぎ。小説の雰囲気は寒々しさには程遠いものであった。そして、何と生き生きとした登場人物たち!トルストイほど人の話し方の特徴をとらえることに長けた小説家はおそらくいないだろう(ディケンズプルーストのどちらよりも戯画化の程度が少ない)。これは翻訳では味わいきれない。私はロシア語の単語のアクセントをすべて知っているわけでもないし、正確に音読できたはずはないのだが、冬の孤独の中で、人物たちの声が本のページから聞こえ、粗末なわが家を活気づけてくれるような気がしたものだ。
 加えて、人物たちがフランス語でよそ行きの会話をしている時と、無骨なロシア語に戻ってしまう時との、しばしば喜劇的な対比もある。ロシア人がフランス語を使う時には一種の洗練された欺瞞が常に匂う。炎上するモスクワから逃げ出したロストプチン市長は、自分の行動を正当化するのに、たとえそれが自分自身に対してであっても、フランス語に頼るしかない。登場人物たちの行動に対する地の文の冷めたコメントは貴族トルストイの声である。彼はほとんどアイロニーを感じさせるまでに常に距離を置いている。作者は、自分の想像力が作り上げた貴族の幾人かに対して敬意を抱かずにはいられないものの、そしてナポレオンとの戦争に関する限り、誇らしげに愛国的ではあるものの、物語の中の出来事に介入することには気が進まない。小説の終わり近くに登場する農夫カラターエフに対する作者の入れ込みは、このあまりにも素朴で賢明な人物の非現実性をむしろ明らかにしてしまう。
 わたしはロシア語の学習者すべてに『戦争と平和』を読むことを薦めたい。語彙や文体は難しいものではないし、会話や手紙文に頻繁に用いられるフランス語は適当に単調さを紛らしてくれる。大変長い小説だから、これを読み終わると、外国の読者はかなりたくさんロシア語を学んだような気になるのである。

The Tolstoy Centenary
http://joshblack2.wordpress.com/2010/11/20/the-tolstoy-centenary/