村上春樹と数学入門

以前、鴻巣さんの書評を引用させていただいた『1Q84』。
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20090607/1244351727
丸谷さんのいわれる「3巻本」の長篇小説で、遅まきながら本年やっと手にしたのですが、いまだ人気があって図書館では借り続けることができない状態で、読了するのに意外と時間がかかってしまいました。
本日、天吾くんのように「一介の塾数学講師」だった経験をお持ちの経済学者、小島寛之さんの著書についての書評(阿部公彦さんのブログ)で以下のような『1Q84』論があるのを見つけました。

数学的思考の技術 (ベスト新書)

数学的思考の技術 (ベスト新書)

村上春樹と数学入門」


 人は心に描いた「物語」を元に行動する――これは今さら経済学者に言われなくても、わかることだ。しかし、本書がおもしろいのは、ここでいきなり村上春樹に話が飛ぶことである。そういえば本の帯に「本書はこんな人に向いています」というリストがあって、「物事に対する戦略の立て方がわらかない」とか「給料にも年金にも期待が持てず不安だ」といった項目とならんで、ひょっこり「村上春樹の小説が売れているらしいけど、本当はよくわからない」とあったのをうっすら思い出す。三部構成をとる本書の第3部は「『物語』について、数学的思考をしよう」と題されているのだが、その中心となるのは何と村上春樹論なのである。
 小島の村上春樹論のポイントになるのは、「村上の奥底に『ある種の数学的思考』が存在する」という指摘である。村上春樹論はすでに数多く書かれており、「村上春樹における数のシンボリズム」的な話題はいかにもありそうなものだが、本書の「数学的思考」というのはそのようなことではない。鍵となるのはトポロジーという概念である。この用語も文学研究で最近頻繁に用いられるが、そのほとんどは数学的な意味でのトポロジーとは無縁である。
 筆者がトポロジーという概念を元に導き出すのは、村上春樹の『1Q84』には、数学者が発見した摩訶不思議な空間、すなわち「地続きだが普通の道をたどることでは行き着けない場所がある空間」が描かれているということである。数学のトポロジー概念についての本書の説明は正直言うとやや急ぎ足すぎて素人にはわかりにくいのだが(PP.213〜216あたり)、それでも村上春樹についての議論は説得力があった。村上は「隔たり」と「連なり」をもとに新奇な空間を創り出そうとしたというのが著者の解釈なのである。
 その他、村上の「数学的思考」の証拠としてあげられるのは以下のようなものである。
幾何学に基づいた物事の把握(多くの数学者は、たとえ関数を話題にするときにもほぼ間違いなく図形的に思考しているそうだ!)、
②論理文風の厳密さの表現、とくに論理展開における「しかるに」の活用(著者の言い方を借りるなら、論理とは命題から出発しつつも、その展開の可能性に重点をおいた一種の「ソフトウエア」なのである)、そして
③暗闇への感受性(幾何学はほんとうは目に見えない世界こそを扱うらしい!)
といったものである。
 どれもたいへん説得力があるポイントなのだが、実は、本書の終盤で思いがけず村上春樹の名前が出た瞬間に、筆者は「あ、そうだ!」と思ったのである。つまり、説明される前に「イエス」と言ってしまった。それはこの本が実に村上春樹的に書かれていたからなのである。本格的な村上春樹論がはじまる前に、すでに私たちはこの一見数学入門の体裁をとった本に隠匿されていた、村上春樹的なものに向けて導かれていたということだ。何ということだろう。本書自体が村上春樹を演技していたのである。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2011/11/post_96.html

この評に対する小島さんの感想は次のとおり。これは手にとってみなければいけませんね。

 阿部さんは、以前、ウェブで拙著の書評を書いてくださった。それは、拙著『数学的思考の技術』ベスト新書の書評なんだけど、ぼくが「世の中には、こんなにも書いた思惑が伝わる人がいるのか」とびっくりしてしまうほどに、阿部さんには内容が的確に伝わっていたのだ。とりわけ、この新書でやろうとした「村上春樹論」が、まるまる完全に読み解かれていて驚いた。さすがブンガクのプロ、そう思わされた。

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20120820

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20091004

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

小島さんのこの『容疑者ケインズ』もおもしろそうです。いずれにしても一度、読ませていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080813

宇沢弘文さん
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080109

石川経夫さん
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20081220