青木昌彦さんの眼力


今回の総選挙で実現した政権交代。この間の事情をうまく言い当てていると思ったのが、今朝の日経に載った連載「新政権へ ―― 課題を聞く」のトップバッター、経済学者の青木昌彦さんの見方です。政治のインサイダー的な説明ではなく、一般市民の感覚としてかなりしっくりくるのではないかと思いました。少なくとも私には「そうだよなぁ」と胸にストンと落ちました。いつもながらの青木さんの眼力には感服します。なお、( )は私の独り言です。

まず、今回の総選挙で実現した政権交代についての青木さんの見方。

「国のかたち」を変える一里塚といってよい。
日本には長らく官僚と政治家が業界団体や利益団体の要求をくみ上げ、公共政策に媒介する仕組みが支配していた。一種の多元的な制度ではあったが、メカニズムが不透明で、官僚や政治家に様々な利権がついた(政官業が癒着した、いわゆる自民党的な仕組み)。
そうした仕組みを変える試行錯誤の過程が1990年代前半の自民党一党支配の終わりと小選挙区制導入で始まった。
それから15年余り、ようやく次の「国のかたち」が見えてきた。まだ改革は道半ば。今後は中身を入れる仕事が始まる。

4年前の自民党大勝から今回は振り子が逆に振れたのでは、との問いについての青木さんの見方。

単なる振れではない。
「改革がなければ自民党を壊す」と言った小泉純一郎元首相は族議員が支配する古い政治の制度疲労を直感的につかみ、国民の支持を得た。だが改革はいつの間にか郵政の組織いじりに矮小化し、自民党は単なる人気取りに走った(国民に人気のある選挙の顔、としての総理総裁の担ぎ出し等)。
民意は一貫して、自分たちの手による「国のかたち」の変化を求めてきたのではないか(このような見方について大いに同感)。

脱官僚主導を掲げる民主党政権の意思決定についての青木さんの見方。

国家戦略局の設置や事務次官会議の廃止など政治主導の実験としてはいい。
だが長い目で見ると、行政と立法府を透明な形で厳しく区別することが必要ではないか。あまり多くの政治家が行政府としての内閣に入れば人気取りの短期的政策を志向する人が出てくる。
新たな「国のかたち」として重要なのは国家戦略の形成と実行を分業化すること。
政府は政権党の公約に沿い、優秀な官僚の助けも得て少数精鋭で重要な政策を実行する。
与野党の一般議員は国会で社会保障や税のあり方、グローバル化への関与などの大局的な問題を巡り公論を戦わせる。
二重権力の心配は要らない(青木さんのこの箇所はよく分からない)。
参院を各都道府県2人くらいの議員で構成する、小規模だが権威ある機関に改組するのも一案だ(この箇所もかなり唐突。何分、日経記者によるインタビューのまとめだから仕方ない)。

民主党の財政政策について、鳩山代表市場原理主義批判についての青木さんの見方。

公約に従って歳出を削るだけ削ることはまずやってもらいたい。
しかし、時期が整えば、消費税の社会保障目的税化と税率引き上げは不可避だ。4年も凍結すると約束する必要はない。
金融危機で世界経済の価値観が変わったといわれるが、市場機能自体の意義が否定されたわけでは決してない。
市場がうまく働くために、市場倫理や行き過ぎた競争を抑制する規制や安全網が必要という考えが世界で再認識されつつある。「市場原理主義批判」などという日本発の概念を持ち出しても、国際的には相手にされない。

今後の日本の課題についての青木さんの見方(従前からの青木さんの主張でもあります)。

今後の世界では、エネルギー、環境、公衆衛生というようなグローバル・コモンズ(地球の共有財産)の問題がきわめて重要な課題になる。日本は省エネ技術や伝統的な自然との調和という価値観を活かして、外交面でも経済面でも、そこで存在感を発揮すべきだ。

自民崩壊の300日

自民崩壊の300日

早速、自民党ウォッチャーの読売新聞政治部がこんな本を出しましたが、今後の政界の行方、特に自民党について青木さんは以下のように述べて本論を締め括っています。

古い仕組み(自民党的な仕組み)で活躍したプロの退場は時の流れだ。
今後は少子化、高齢化、家族構成の変化で、若い人や女性の責任と負担が重くなる。彼らの政治での発言機会が広がるのは当然だ。
民主党には霞が関を“脱藩”した極めて優秀な若手が少なからずいる。古い仕組みでは世襲を別にすれば起こりえなかったことだ。
自民党民主党の失点待ちではなく、独特の政策主張を民意に訴えて再生を期してほしい。競争的な政治制度を活かすのが両党の責任だ。