吉田健一さんの文体

吉田健一集成』の最終巻である別巻の月報に載っている三浦雅士「ランチョンの吉田健一」という文章を読んで、60年代、70年代の編集者から吉田さんが実際に「ヨシケンさん」と呼ばれていたことを知りました。なるほど。
http://www.gourmet.ne.jp/Luncheon/
私は吉田さんの「句点も少なければ読点も少ない」文体が何とも好きですが、その文体には祖父の牧野伸顕大久保利通の次男)の薫陶を受け、どことなく貴族的な性格が滲み出ているはずなんですが、厭味のないところは親父さん(吉田茂)の話しぶりに通じるものを感じます。
庶民は血統を重んじるところがありますからね。

河上徹太郎
「健一のことを喋るんだったらギネス・ビールがないと駄目だな。聖路加病院に入った前後は、健一はギネスだけで生きていたそうですね。」
牧野伸顕は明治の文明開化というものをつくった一人でしょう。それと、吉田茂って親爺は、その延長で仕事をした人なんですね。伸顕は明治の文明開化が敗戦で一朝にして崩れ去ったことを非常に歎いてた、それを吉田茂がとにかく建て直したんだからね。そこにまた健一という子供が生まれて住みついたっていうのは面白いことですね。伸顕さんが本気で悲しんでいた廃墟の「瓦礫の中」の壕舎でシェリイなんか飲んでいい気持なんですからね。生前の健一は心からのお爺さんっ児でしたよ。」
      丸谷才一との対談「吉田健一の生き方」「海」1977年10月号

1956年5月から9月まで「週刊東京」に17回連載されたものをまとめて1956年12月に文藝春秋新社から出た『大磯清談』の二人の対談が実に味わい深いので、何とか全集に収めるか文庫化されて手軽に読めないものかと常々思っていました。
これが何とそっくりそのまま、その他の文章と共に東京白川書院というところから『大磯随想』というタイトルで1983年7月に出ていることを最近知り、これが近所の図書館に所蔵されていたので大変有難く思っているところです。