真珠の頚飾


製作があのルビッチ、監督はあの「歴史は夜作られる History Is Made at Night」(1937)のフランク・ボーザージで、ディートリッヒとクーパーがスタンバーグの「モロッコ Morocco」(1930)以来、久々に共演した1936年の映画「真珠の頚飾 Desire」。
何とも豪華な布陣で画像も75年前のものとは思えないくらい綺麗でしたね。
それにしても出だしの胸のアップはディートリッヒのものなのでしょうか。どうも別人のようですが当時としてはかなりドキッとするものだったのでは。
ウィキペディアによると、ディートリッヒは前年の「西班牙狂想曲 The Devil Is a Woman」を以ってそれまで公私共にしてきたスタンバーグ監督とのコンビを解消、その後やや低迷していたようです。
本作は何とか勢いを取り戻したい、という彼女の願いを叶える企画だったのではないでしょうか。この辺りの事情を彼女自身、自伝に何か書いていないか、確認してみたいと思いました。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0463.html

タンバーグの映画は次第に魅力を失い、35年の『西班牙狂想曲』がスペイン政府の圧力を受けて興行的に失敗すると、スタジオはこの作品を最後にコンビを解消させた。
育ての親から独立したディートリッヒも人気を盛り返すことが出来ず、エルンスト・ルビッチ製作による『真珠の首飾』(36)や『天使』(37)などの興行的な失敗作が続いてボックスオフィス・ポイズンのレッテルを貼られてしまう。『I Loved a Soldier』はディートリッヒのわがままから撮影途中で製作中止となり、スタジオが提示した屈辱的な出演料での契約更新を断ってパラマウントを離れたディートリッヒは、ヨーロッパに渡ってイギリス映画『鎧なき騎士』(37)に出演。『嘆きの天使』がお気に入り映画の一本だったアドルフ・ヒットラーから、ドイツに戻って親独映画への出演を要請されるが、ディートリッヒはこの申し出を拒否してアメリカに戻り、39年にはアメリカの市民権を取得した。
ジェームズ・スチュワート共演のウェスタン『砂塵』(39)では、酒場の女フレンチーを自分自身の風刺を織り交ぜながらコミカルに演じて新境地を開拓。40年代前半はルネ・クレール監督の『焔の女』(41)、ジョン・ウェインと共演した『スポイラーズ』(42)や『男性都市』(42)など良質の作品に恵まれて第二の絶頂期を迎えた。
この頃にはブロードウェイにも進出して『理想の良人』や『雨』の舞台ミュージカルに出演。43年からは米軍兵士慰問のためヨーロッパを巡り、反ナチ運動にも積極的に参加。戦後、兵士慰問の功績が認められてアメリカ政府から自由勲章が、フランス政府からレジョン・ドヌール勲章が授与された。

http://www.geocities.co.jp/hollywood/5710/m-dietrich.html

なるほど、本作は興行的には失敗でしたか。実際、ディートリッヒのピアノ弾き語りは勿論、クーパーまで歌ったりして私には十分楽しめましたがストーリーは、特に後半がちょっとあっさりしていたような(台詞が聴きとれないくせによく言うよ)。
そういえば本年はゲーリー・クーパー没後50年の節目の年でした(5月13日が忌日)。この映画のクーパー、本当に若くて油が乗っている感じです。
本作の製作者エルンスト・ルビッチですが、この後、ディートリッヒを使って「天使 Angel」 (1937)を、クーパーと組んで「青髭八人目の妻 Bluebeard's Eighth Wife」 (1938)を、それぞれ製作と今度は監督もしているんですね。これらもいつか一度観てみたいものです。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11379
http://www.imdb.com/title/tt0027515/
http://www.classiccinemaonline.com/index.php/movie-billboards/comedy/romantic/3201-desire-1936-

(追記)
上記『自伝』の「『西班牙狂想曲』撮影のあとで」には以下のとおり記されておりましたが「『真珠の頚飾』は私の脚のクローズアップで始まった」とあったのは記憶違いでしょうね。マレーネ自身の本作に対する評価は非常に良いようです。

「もし君が今ハリウッドを去れば、君は何もかもこの私のためにだけやって来たのだと世界中の人が思うだろう。君はここで仕事を続けなければいけない」
 フォン・スタンバーグは私にそう言った。私は次の撮影に入ったが、どれほど穏やかな言い方をしても確信のない映画出演だった。
 この時期のもので、私が恥じなくてよいと思うただ一つの映画は、フランク・ボザーギ監督、エルンスト・ルビッチ台本の『真珠の頚飾』である。相手役のゲーリー・クーパーは、以前ほど無口でなくなったような気がしたし、『モロッコ』の撮影中ずっと彼から離れなかったルーペ・ベレツもやっといなくなっていた。
『真珠の頚飾』は良い映画になり、収益面でも大当たり作品であることが裏づけられた。年がたつにつれて私もそれを認めるようになっていた。台本が素晴らしく、役柄もそれぞれ優れたものだった。これは役そのものが俳優より重要であることを改めて証明している。しかし『真珠の頚飾』が興行収入の面で認められる前に、(映画会社はいつもそうだが)スタッフはまた別の映画撮影に入っていた。それは台本、監督共にエルンスト・ルビッチによる『天使』であったが、特に良いというほどのものではなかった。『真珠の頚飾』が外国の映画館でも上映されると、私たちスタッフにはまた新たな勇気が湧いて来た。

(後記 2022. 5. 4)

本日、日本語字幕付きで、改めて鑑賞。クーパーもディートリッヒも綺麗で、良かったですね。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09KQH38KF/ref=atv_hm_hom_%7C1_c_TEdR0r_4_2
www.imdb.com