ウィリアム・モリス ギャラリー 訪問記念日

1年前の本日(2008年1月12日(土)、ロンドン郊外のウィリアム・モリス ギャラリーを訪問しました。またいつか再訪したい、という願望を祈念する意味で、以下、当時の日記より抜粋。


1月12日(土)午後3時からのアーセナル v バーミンガムシティ戦をエミレイツスタジアムで観戦する前に、割と近所にあったのと、平日はクローズということだったので、慌しかったですが一人でウィリアム・モリス ギャラリーを訪問しました。
地下鉄Victoriaラインの最終駅ウォルサムストゥセントラルで降りて歩いて15分ほどの所にありましたが、駅のスタンドで『ロンドン A to Z』を買わなければ、おそらく辿り着けなかったでしょう。遅ればせながら今回の旅行で初めてこの便利な地図を購入しました。

London Street Atlas (A-Z Street Atlas)

London Street Atlas (A-Z Street Atlas)

1848年、モリス14歳の時、その前年に父親を亡くして、ウッドフォード・ホールから、ここウォーター・ハウスに転居したのだそうです。(『図説ウィリアム・モリス』参照)
図説|ウィリアム・モリス―ヴィクトリア朝を越えた巨人 (ふくろうの本)

図説|ウィリアム・モリス―ヴィクトリア朝を越えた巨人 (ふくろうの本)

ギャラリー自体はとても小振りで親しみが持てます。ここは Waltham Forest というロンドンに32ある Borough(ロンドン区)という自治体のボランティアによって運営されているよう(な感じ)で、また、このギャラリーの裏手にあるちょっとした公園は付近の住民の憩いの場となっています。
さて、このギャラリーの2階には Frank Brangwyn(初めて聞く名前!)の絵画が展示されていますが、ここで日本人の名前を発見して驚きました。それは漆原由次郎という明治の人。

また、2006年は没後50年ということで、イギリス、ベルギーでフランク・ブラングィン展が開催された模様。日本でも国立西洋美術館で以下のとおり開催されました。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/past/2006_203.html
フランク・ブラングィン版画展
2006(平成18)年9月12日- 2006(平成18)年12月10日
会場:国立西洋美術館 版画素描展示室
主催:国立西洋美術館
出品点数:計39点

漆原由次郎(木虫)
1889年(明治22年)東京で生れた。若くして兄2人と共に摺師に弟子入りする。祖父は書家でもあり、独学で摺りの技術を習得して東洋美術を専門に紹介する出版社、審美書院で働いたと言う職人の家系である。
1907年漆原は初めてギリシャを中心にヨーロッパを旅した。1910年ロンドンで日英博覧会が行われ、日本の文化が紹介されて大変な話題となった。この時日本の木版画技術を紹介するデモンストレーターの一人として渡英した。これが1941年まで続く西洋での長期滞在の始まりであった。驚異的な木版画の優れた技術を認められた漆原は一人英国に残って、江戸期の光琳北斎等の本画からの復刻を大英博物館から依頼され、後に大英博物館の嘱託となる。
銅版画家でもあったブラングィンと漆原の最初のつながりはローレンス・ビニヨン(1869年〜1943年)が関わったのではないかと思われる。ビニヨンは詩人でありイギリスの東洋美術研究の第一人者であった。
ブラングインと漆原は、ビニヨンの6つの詩を含めた詩画集「ブルージュ」を1919年に出版している。その後も1924年木版画集「10の木版画」1940年に2人の最後の共同作品である木版画集「ブラングインのスケッチブックより」を出版しておりいずれもビニヨンが序文を書いている。
漆原はブラングインの作品の複製を制作していたのではない。2人の共作の殆どは、ブラングインが木版画製作のために下絵を提供し、漆原が彫、摺りを担当するという、絵師ブラングイン、彫、摺師漆原由次郎の作品である。漆原も自身のデザインを起こしたオリジナルの木版画を制作した。主にモチーフにしたのは花瓶に活けられた花を描いた「静物」「風景」である。そして同じ作品でも背景の色を変えて摺り,そのバリエーシュンを楽しんでいる。この漆原の木版画を含め、漆原の起こした木版画は、イギリスで人気が高く、当時のメアリー女王やチャーチル首相等もそのコレクターとして知られる。
1939年に勃発した第2次世界大戦では敵対関係にあったため漆原は帰国を余儀なくされる。1940年英国を発ち翌年に帰国した。30年近く続いたブラングインと漆原の共同制作は戦争によって終止符がうたれたが、今も作品の中には2人の友情が熱く息づいている。ブラングインと漆原の木版画は、まさに「東西芸術の奇しくも幸福な協力の賜物」である。
帰国後の漆原は時局柄仕事もなく生活の為に1日中絵馬を摺っていたという。1953年(昭和28年)東京にて没。


Frank Brangwyn
ブラングイン.フランク.ウイリアムス(1867年ベルギー1956年イギリス)
1877年よりロンドンに住み、サウスケンジントンの美術館で学ぶ。1884年ウィリアム・モリスのもとでタピストリーの下絵を描く。ヨーロッパばかりでなく東洋も歴訪。1919年ロンドンの王立アカデミーの会員に推挙される。歴史的、寓話的、日常的主題を扱い壮大な壁画、工芸品、リトグラフ等を制作したが、最も優れた作品が多いのは版画である。〔エルミタージュ美術館名作展1999年より抜粋〕
1890年代「アラビアンナイト」等、挿画をブラングィンが担当するとその名はヨーロッパ中に広がっていった。1890年ロンドン郊外のハマースミスにアトリエを構えた。壁画の依頼が増えエッチング製作を始める。現在の東京国立西洋美術館の所蔵作品の基礎となった膨大なコレクションを築いた松方幸次郎との交友が始まったのもこの頃である。
労働者、橋等を描いた銅版画、漆原由次郎を知り数々の木版画の名作を残した。1952年彼の470点の作品がロイヤルアカデミーに展示された。これはアカデミー史上初めての生存会員の回顧展であった。その作品は大英博物館、カナダ国立博物館スミソニアン協会、ブラングイン美術館、ROムラーコレクション、エルミタージュ美術館が所蔵。

http://www.akanegarou.com/kako/shokunin-surishi/shokunin-surishi.html