ウォー、グリーン、そしてオーウェル

本日の通勤車内で、ウォーの『回想のブライズヘッド』をやっと読了できました。

回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)

回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)

回想のブライズヘッド〈下〉 (岩波文庫)

回想のブライズヘッド〈下〉 (岩波文庫)

終章でのチャールズ・ライダーの以下の台詞が胸に響きました(小野寺健訳)。

 おそらく、そこが建物を建てる楽しみのひとつなんだろう、息子をつくって成長を楽しむみたいなもので。わたしにはわからないがね。わたしは家を建てたこともないし、息子の成長を見守る権利もなくした人間だから。わたしは家もなければ子供もない、愛するものもいない中年男なんだよ。

建物を建てる楽しみは息子をつくって成長を楽しむみたいなもの、というところが何ともイギリス的で日本の住宅事情とは全然違います。悲しいけれども素敵な言葉だなと思いました。
ここで、吉田健一訳も参考までに。

 それが建築の楽しみの一つかも知れないね。息子がいてそれがどんな人間になるんだろうと思うようなもんで。私には解らない。私は何も建てたことがないし、私の息子を見守る権利もなくしてしまったんだ。私は家もなければ子供もない、愛するものがない中年男なんだよ。

mixi で hedgehog さんが「いざ読み始めると吉田訳と比べて読みやすいの何の。「曾てアルカディアに」のほうが「われもまたアルカディアにありき」より格好良いと思いつつも、繰り返し読むなら私としては小野寺訳のほうが分かりやすくて有難い」と書かれていますが、確かに、私も小野寺さんの訳の方が読みやすいのでは、と思います(吉田訳を読了していない私が言うのもなんですが)。
因みに、原文はこうです。
‘Perhaps that's one of the pleasures of building, like having a son, wondering how he'll grow up. I don't know; I never built anything, and I forfeited the right to watch my son grow up. I'm homeless, childless, middle-aged, loveless.’
さて、小野寺さんの岩波文庫版解説に「イーヴリン・ウォーは、グレアム・グリーンとならべて論評されることが多い。二人の生年がほとんど同じのうえ、どちらもカトリック作家であるためだと思われる」とあります。
ウォー(1903.10.28−1966.4.10 享年62)、グリーン(1904.10.2−1991.4.3 享年86)。私は、この二人にジョージ・オーウェル(1903.6.25−1950.1.21 享年46)も加えて、それぞれの作品を味わっていきたいと考えています。
Orwell Festival - June-July 2009
http://www.theorwellprize.co.uk/the-award/events-diary.aspx
http://www.orwellcelebration.org/index.html


(2012.02.04 追記)
小野寺先生に『英国的経験』というエッセイ集があり、その中に「父と子の関係」という文章があって『ブライズヘッドふたたび』を引いて以下のように述べておられることを知りました。元々、このエッセイはNHKTV英会話座テキストに連載された文章を纏められたもののようで、テキストを買っているだけで読まなければ、やはりダメですね。

英国的経験

英国的経験

 この小説を読んでいて主題とはべつにわたしが興味をもったひとつの点は、セバスチアンとその父侯爵の、一見親子とも思えないクールな関係というか、日本ではちょっと考えられない家庭の姿と、ライダー自身の父子関係でした。
 父はライダーがオクスフォード大学に入学すると、そこで守るべき心得について、先輩として具体的な教訓をあたえたりはします。小遣いもたっぷりあたえます。けれども、休暇で息子が帰ってきても、父子は夕食の時間になるまで顔を合わせることもなく、食事のあいだもほとんど話をしないのです。