トニー・ジャット

1989年暮れ、ウィーン
南駅と西駅との明暗が ある使命感を、私に与えた
「ヨーロッパ戦後史」Postwar : A History of Europe Since 1945
トニー・ジャット Tony Judt 歴史家 
とてつもない筆力である。ページごとに、著者の博識に圧倒され、大局観にうなり、時代の空気の精密な描写に引き込まれる。米国を代表する歴史家が、愛した映画作品や自分史まで動員して、欧州の衰微の戦後を洗い直した。

―― 米国版が933ページ、日本語版では1061ページもあります。書くのに要した時間は。
ジャット
 この本を書こうと思い立ったのは、ベルリンの壁が崩れた89年の暮れ、ウィーンを訪れた時でした。東欧に向かうウィーン南駅の暗さと、西欧を向いたウィーン西駅の明るさを見比べて、ある使命感にかられました。「この東西の差は何だったのか。冷戦が終わった以上、欧州の戦後史を全面的に書き改めなくては」と。着想から出版まで15年もかかりましたが(笑)。
―― 読んで驚いたのは、ドイツをはじめ欧州各国がこぞって第2次大戦中のふるまいを「忘れたふり」をしたという指摘です。「戦後、欧州はナチス負の遺産をきちんと清算した。なのに日本は清算を怠った」という見方がいわば日本の常識でしたから、まったく正反対の見方です。
ジャット
 もちろんドイツほど過去と向き合った国はありません。戦後、ナチス幹部は処断され、一般市民はナチスの蛮行を収めた映像を見ることを課されました。その一方、敗戦から数年後にもう西ドイツは「過去との決別」を宣言し、将校や公務員の過去調査を打ち切りました。官庁幹部、会社経営者、医師、教師など重要な職業で彼らはすばやく元の地位に返り咲いています。たとえば1951年の時点で、ある州では判事、検事の9割が元ナチス党員で、大蔵省職員でも7割がそうでした。復興には元ナチス党員の力が欠かせなかったからです。ドイツは、ヒトラーを(悪者として)世界に差し出すことで、処罰も道義的責任も逃れたのです。
―― ドイツ以外の国々も「忘れたふり」をしたのですか。
ジャット
 たとえばフランスでは、「ビシー政府症候群」と呼ばれる現象が起きました。南仏ビシーにあったナチス傀儡政府に協力したフランス人たちが、ナチスに協力した記憶を封じ込めてしまったことを指します。フランスに限りません。ナチスと妥協してしまった国では戦後どこでも、暗い記憶から目をそむけ、あるいは好都合な方向に記憶を変えるという現象が起きた。戦後の欧州は「悪いことは何も起きなかったことにしよう」という集団的記憶喪失の道を選んだのです。復興のためには、他に方法がありませんでした。
―― 欧州でもひときわ地味なモルドバマケドニアアルバニアといった小国にも記述が及んでいます。その意図は。
ジャット
 欧州史といえば、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアだけを取り上げた本が多かった。私が書きたかったのは、欧州主要国の歴史でなく、欧州全体の歴史。そのため欧州の端に位置する小国にもなるべく足を運びました。
―― 冷戦後に国の形が相次いで壊れた東欧と違って、西欧では各国が少数民族を抱えながらも国としての統一を維持できた。なぜでしょう。
ジャット
 ひとつは西欧には経済的余裕がありました。たとえばスイスが好例だが、最下層まで行き渡る富があったから、だれもが現状にそこそこ満足し、民族的不満が爆発しなかった。もう一つは、欧州連合EU)のおかげ。ベルギーを見たらわかりますが、不人気な政策はすべてEUのせいにしてしまえる。「EUが無理強いしたからだ」とごまかすことができた。
―― 生まれも育ちも欧州で、研究対象も欧州のあなたが、なぜ米国に居を定めたのですか。
ジャット
 英オックスフォードで教えている時がちょうどサッチャー政権の中期で、大学教育、特に人文科学がひどく軽視された時期でした。(米カリフォルニア大)バークリー校に移って、米国の大学は欧州の大学よりずっと面白くて自由だと痛感しました。それにここニューヨークは、世界を見渡すには最適の街です。
―― ニューヨークは、ユダヤ系の多い街。あなたはユダヤ系を代表する知識人なのに、ユダヤ系ロビーやイスラエルを批判し、そのたびに騒ぎになったと聞きましたが、真相は。
ジャット
 3年前、有力なユダヤ系ロビーを論じる講演をやろうとした時は、本番直前にキャンセルされました。ユダヤ系団体の首脳が、婉曲な表現ながら会場側に手を回し中止に追い込んだのです。これぞ検閲です。6年前、イスラエルを「機能不全の時代遅れの国」と論評した際は、(親イスラエルで知られるオピニオン誌)「ニュー・リパブリック」から寄稿エディターの地位を解任されました。
―― イスラエルを繰り返し批判するのはなぜですか。
ジャット
 これでもかつては、ユダヤ民族国家の理想に燃える少年だったのです。志願してキブツ(集団農場)で働きましたし、67年の第3次中東戦争では、運転手兼通訳としてイスラエル軍で働いたことさえあります。それでもイスラエルの人々と話すうち、失望が芽生えました。「パレスチナの連中を皆殺しにすればそれで幸福になれる」などといったイスラエルの若者たちの狭量さに落胆したのです。「こんなはずじゃなかった」と。理想視していたイスラエルの現実がすっかり見えてしまったからです。
―― あなたのしかける論争はいつも物議をかもします。身の安全のため、用心棒を雇ったりしたことはありませんか。
ジャット
 用心棒を雇ったことはないけれど、脅迫状や脅迫メールはいくつも届きました。警察に被害を届け出て、私と家族への見回りを強化してもらったことはあります。
―― イラク戦争を始めたブッシュ政権を批判して、リベラル派の論客として名をはせました。
ジャット
 「中東の専門家でもないくせによくも」という非難をよく受けます。たしかに私の専門は欧州政治史で、中東研究ではありません。でも私はユダヤ人です。しかもキブツで働いた経験もある。何より、身分が終身保障されている大学教授は、発言の自由もあって恵まれた存在。特権をもった言論人には、その分、良心に従って言うべきことを言う義務があると信じています。

                    (聞き手 ニューヨーク支局 山中季広)

http://globe.asahi.com/author/090803/01_01.html

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

Tony Judt: A manifesto for a new politics
http://www.guardian.co.uk/books/2010/mar/20/tony-judt-manifesto-for-a-new-politics
Night
http://www.guardian.co.uk/theguardian/2010/jan/09/tony-judt-motor-neuron-disorder
What Is Living and What Is Dead in Social Democracy?
http://www.nybooks.com/articles/23519
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Girls! Girls! Girls!
http://blogs.nybooks.com/post/441569341/girls-girls-girls
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http://blogs.nybooks.com/post/407338276/edge-people
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