終戦の日と歴史家の役割

日本に居なくて観ることができなかったこの日のNHK視点・論点」。
幸いHP上でテレビでの語り口そのままに、東京大学加藤陽子教授の「終戦の日と歴史家の役割」という良いお話を読むことができました。

 戦没者の思いは、生き残った者によって語られ、遺されます。
 皆さんは、吉田満が書いた『戦艦大和ノ最期』をご存知でしょうか。
戦艦大和ノ最期』には、海軍兵学校出の青年士官の、出撃前夜の言葉が書かれています。「(日本は)本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか」死者の言葉が、反省のトーンで語られていることにご注目ください。
戦没者を追悼する」と言った場合、生きている者の都合によって戦没者の思いを忖度する態度ではなく、多様な戦没者の声の中味それ自体を知ろうとする態度が大切だと思います。
 それには、NHKがインターネットで提供している「戦争証言アーカイブズ」が最も参考になりそうです。 
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
 それでは、このような、生き遺った者の声を通じて語られる死者の声を聴き取った歴史家は、次に何をなすべきでしょうか。
 私は、過去の日本の戦争に関して言えば、戦争が起こされた本当の原因と、国家が国民に対して行った説明が異なっていたということ、この歴史の事実を伝えることが歴史家の二つ目の役割だと考えています。


 一見すると満州事変は、中国のナショナリズムの昂揚に対して、日本の満蒙権益を擁護しなければならないとする危機感から起こされたように見えます。
 しかし、事変の計画者の念頭には中国の姿はなく、将来的に予想されるアメリカとの戦争の際の基地とするため、また、ソ連の脅威に対抗するための全満州の軍事占領だけがありました。軍の計画立案者の真意は、まさにそこでしたが、このような真の意図については、国民の前には決して明らかにされませんでした。


 私たちは現在を捉え、将来を予測する際に、無意識に過去の事例と対比しつつ判断を下します。その、対比を行うためのファイルを良質で豊かなものにするお手伝いをする、これこそが歴史家の務めだと考えています。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/164830.html

やっぱり加藤先生のお話はタメになりますなぁ。
なお、先生はアベ首相が「5月、参議院において歴史認識については歴史家に任せるべきだ、との答弁を行いました」とおっしゃっていましたが「歴史認識について述べることは謙虚であるべき」というフレーズ(これは、自らが歴史をどう認識しているか、公に話すとたちまち外交問題になってしまうような内容なので、とても話すことができない、という意味でしょう)自体、平成18年9月に総理に就任して以来のアベ首相お気に入りのフレーズとして使われているものです。
それを今回「歴史家、専門家に任せる」と言い出したものですが、初めて公に言われたのはこの3月からですね。
http://kokkai.ndl.go.jp/
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_srch.cgi?SESSION=27393&MODE=2
3月5日参議院本会議
歴史認識の問題については、政治・外交問題化させるべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当であると考えております」
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=11767&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=10&DOC_ID=748&DPAGE=1&DTOTAL=4&DPOS=4&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=11931
(参考)
5月15日参議院予算委員会
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=7457&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=10&DOC_ID=1326&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=9333