歴史と現在を交じらせなければならない

終戦記念日を「敗戦」記念日と言わないことについて、それほどこだわるのも、どうなのか、『永続敗戦論』というのも、ちょっと違和感があります。
http://www.nhk.or.jp/radiosp/jisedai/
勝ち目のないバカな戦争を愚かにも始めてしまった、そんなバカな戦争がやっと終わったという意味での「終戦」記念日だと、司馬遼太郎さん同様、私も思います。
今日は、没後18年目となる丸山眞男の忌日でもありますが、先日、NHKで久しぶりにその顔、その喋りを観ることのできた司馬さんの文章を読むことにしました。
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20140322/1407659316

http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=9238594&id=716658

 こういうふうに、来る日もくる日も歴史を現在として書き続けている作家は、その思考そのものが歴史的現在になっている。司馬遼太郎は、とりわけそういう一人だったのである。
 とくに戦争体験のある司馬においては、45歳をすぎるころから、日本を左右する出来事や言動がしだいにのっぴきならないものになっていた。こういう人は、歴史を学んでいるのではなく、歴史観をつくろうとしているのでもなく(よく司馬史観などといわれるが、こんなものじゃなかった)、はなっから歴史に生きている。
 しかしこれは、作家だけに任せてよかったことではなかったとも言わなければならない。また作家なら作品に向かえばいいが、歴史と現在を交じらせなければならないのは、日本そのものなのである。今日の日本人なのだ。
 ぼくは、こういう日本人には、むしろ小説よりも、司馬の赤裸々の歴史語りを読んだほうがいいと思っている。


(中 略)


 これはぼくの推測にすぎないが、司馬遼太郎という人は歴史的現在についてすら「斎き」を考えていたように思われる。
 『この国のかたち』には、鎌倉幕府や徳川システムや明治の教育制度についての、いろいろな議論が書いてある。これらは、そのような「かたち」をもっているものだ。司馬はこの「かたち」にはたえず注文をつけ、それを律した人々に、つねに表情と体温を与えてきた。その表情がいかに歪もうとも、その体温がいかに冷たくなってしまおうとも、「日本というかたち」に挑んだ者たちには、表情と体温を付することを忘れなかった。
 なぜ、そのようなことをしたのかということについては、司馬自身が次のように書いている。「科学がいかに進んでも、人事における性が不可解なものとして残るであろうように、男がその人生を噛みこませてゆかざるをえないものとして、権力がある。人事における権力もまた、性とならんで永遠に不可解なものである。私は、このことを書きたいらしい」、と。
 司馬が言う「かたち」とは、つまりは権力にまつわって見えてくるものなのである。権力にまつわって自身を忘れ、狂い、静まり、蠢く者たちがめざしたもの、それが司馬の言う「かたち」なのだ。

http://1000ya.isis.ne.jp/0914.html

松岡正剛「千夜千冊」914夜(2004年01月13日)で取り上げられた「赤裸々の歴史語り」司馬さんの1冊は、これでした。

この国のかたち〈1〉 (1986~1987)

この国のかたち〈1〉 (1986~1987)

歴史と現在を交じらせるための参考書
歴史で考える

歴史で考える

2007年の終戦記念日mixi の日記より)

  
テレビ番組「原爆の夏 遠い日の少年 〜 元米軍カメラマンが心奪われた一瞬の出会い 〜」
http://www.bs-tbs.co.jp/genre/detail/?mid=KDT0401600
「写真家 ジョー・オダネル氏の番組の再放送依頼」のトピでこの番組のことを初めて知りました。
「焼き場に立つ少年」(写真左)のカメラマン Joe O'Donnell 氏(写真右)の訃報を聞いて、この番組再放送のリクエストをするものです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21757019&comment_count=6&comm_id=790

また、以下、2004年6月28日の第13回BS−i放送番組審議会における委員のコメントです。

・本当にこれは力作というか名作というか、すばらしい番組だなと思いました。これで終わらせてしまってはもったいないなという気がしまして、若い人に見せたいし、海外にぜひ出していただきたいです。

・戦後、ああいう格好をして原っぱを駆け回っていた記憶がありますから、非常に身につまされる番組でした。私がこれまで見たドキュメンタリーの中でも、最良のうちの1本ではないかと思います。地上波でやっても全くおかしくないですし、しかもその中でもレベルも非常に高いと思います。

・非常に感銘を受けました。全体の構成的には、多少長めかなという感じがしました。 1枚の写真というものを求めて記憶の中を洗っていくという、1つ、非常にしっかりしたポイントがあって、そこから、1枚の写真がつくり上げるドラマといっていいと思うのです。そういう意味では視点が定まっていて、全体的に非常に緊張感のある、引きつける番組だったと思いますし、とにかくいろんな意味で人間的な、見ていて、人間としてのいろんなことを考えさせるいい番組になったと思います。

・最後の教会での写真展のシーンは、本当にボロボロ泣けるぐらい感激をいたしました。どうして同じことを何回も繰り返さないと、人間はわからないのかなという愚かな感じもいたしました。

・私、この作品をようやくきのう見たんですけれども、おかげさまで非常に襟をシャキッとせにゃいかぬという思いにさせていただく本当にすぐれたドキュメントだったと思います。

・先ほどから長いというのがありました。しかし、 BSというのは時間がたっぷりとれる。それもBSならではの丁寧なつくりなのかなと思いました。音楽が比較的少なかったと思いますね。今のテレビ番組は、どうしても音をおどろおどろしくしたりする中で、控えたことによって訴える力があったと思いました。

・私の中では、まだイラク戦争は続いていると思っているんですけれども、そういう中で、戦争とは何なんだというのを改めて別の視点から働きかける非常にいいドキュメンタリーだったなと思います。皆さんもおっしゃったように、非常に長いんですけれども、あのぐらい長くなければ語れなかったと思います。また BS-i だからこそこれだけ長い枠でできたのだと思います。

BS−i 番組審議会委員

 委 員 長  天野 勝文 (日本大学教授)
 副委員長  荒川 洋治 (現代詩作家)
 委員    逢坂 剛  (作家)
 委員    鳥飼 玖美子(立教大学教授)
 委員    沼田 早苗 (写真家)
 委員    村 和男  (弁護士)
 委員    師岡 文男 (上智大学教授)

http://www.bs-i.co.jp/app/company/program_council/13

私は、本番組の再放送の依頼を、TBSとBS-iの両局あて出してみました。

(2007年8月18日記)
2007年8月17日に、以下のメッセージを受領しました。

差出人 : BS-i
送信日時 : 2007年8月17日 19:25:57
件名 : お問い合わせについて

BS−iです。
お問合せ有難うございます。

原爆の夏の再放送を9月10日 21:00に
予定しておりますので、是非ご覧下さい。

今後ともBS−iを宜しくお願い致します。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=530821231&owner_id=9238594

2010年の終戦記念日

靖国問題入門

靖国問題入門

「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の感涙座談会」
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20100815/
2013年の終戦記念日
終戦の日と歴史家の役割」
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20130815/