歴史から学ぶ 明日への処方箋

産経新聞では日米開戦70年を迎える本年、既に3月から「日米開戦 70年目の検証」という連載をしていたようですね。知りませんでした。本日はその最終回。

 なぜ勝てる見込みがない米国との戦争に踏み切ってしまったのか。当時と現代の社会情勢は似ていないだろうか。この疑問から連載がスタートしました。開始直後に東日本大震災が発生、「リーダー不在」「海外頼みの資源」など、現在でも変わっていないと改めて感じました。
 「日本だけが悪いわけではない」「自衛戦争である」「自虐史観だ」などの苦言もいただきました。そういう側面もありますが、300万人もの犠牲者を出したことは事実であり、避けなければならない選択だったと思います。
 なぜ私たちは歴史を学ぶ必要があるのでしょうか。明日への処方箋が歴史に隠されているからです。70年前の最悪の選択にも現代の日本の処方箋が隠されていると思います。
(社会部編集委員 将口泰浩)

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111203/art11120309490004-n1.htm

ちょっと待ってください。70年前の太平洋戦争当時のリーダーだけがそれほど暗愚だったのでしょうか。
この3月11日に発生した大震災と巨大津波により福島原発メルトダウンを起こし「想定外」の制御不能に陥りましたが、この原発事故を巡るリーダー、日本政府や東京電力の対応は一体どうであったでしょう。
日々の報道を通じて全ての日本人が感じたこと。
それは、現在進行形で進んでいる目の前の事態に対し、現場の高い放射能の恐怖の中で消防、機動隊あるいは発電所の職員の決死の戦いが継続していた一方で、国家のリーダーと呼ばれる人々や東電の責任者(ほとんど姿を見せなかった社長!)の頼りない姿であって、やっぱりリーダー達はその責任を果そうとしないという無責任な姿が70年前だけでなく現在の日本でもそのまま続いているという実態をいやというほど見せつけられた、ということではなかったでしょうか。

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そうした国民の思いの一端を、国会という公の場で示されたのが7月27日の児玉龍彦教授の満身の怒りの訴えだったのではないか、敗戦後、政治学者の丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだまさしくその姿が現在そのまま再現されていることを、あの時、良心の専門家によって、直接彼らに面と向かって、そして天下に明らかにされたのです。
失敗の歴史から明日への処方箋を学ばなければならないと痛切に思うのですが(日本ではリーダーがそんなこととは関係なくその地位に就いてしまうようで)それは非常に困難なことであり、また絶対に必要なことだと感じざるを得ません。

たまたま今日、録画してあった50年前の日本映画「切腹」(昭和37年)を観ました。武士の面目にこだわっての切腹。面目にこだわったがために起きた悲劇。
食い詰め浪人津雲を演じた仲代達矢(当時まだ30歳!)の強烈な演技に圧倒されたのですが、その浪人、最初の三國連太郎のナレーションでは城普請で幕府により取り潰しにされた芸州広島(ヒロシマ)藩といっていたのに最後では福島(フクシマ)藩浪人になってしまいました。何か暗示的でしたね。
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