ロベレ将軍


高校3年の夏休みに聴いていたNHKラジオの受験講座テキストで、丸山眞男の文章の一部を「不作為の責任」と題した教材で読んだ際、映画「ロベレ将軍」のエピソードが非常に印象的でした。元の文章は雑誌「世界」の1960年7月号に載った「現代における態度決定」です。
調べたところ、元々はその年の5月3日に行われた憲法記念講演会での講演で、「世界」に掲載された後、「われわれは決断を回避できない」「不偏不党とはどういうことか」そしてこの「不作為の責任」と節を分け表題をつけて岩波新書の『憲法を生かすもの』(1961)に再録されたようです。安保改定で揺れていた当時の時代の雰囲気が感じられます。

世界映画名作全史 戦後編 (現代教養文庫 837)

世界映画名作全史 戦後編 (現代教養文庫 837)

その後、猪俣勝人『世界映画名作全史 戦後篇』でそのあらすじを何度も読むに至って、この映画の名前は私にとって決定的なものになりました。
以来、いつか実際に観てみたいと熱望していたこの映画が京都駅ビルシネマで開催中の「イタリア映画祭」のラストを飾る一本、とのこと。なるほどその選、甚だ良し、であります。
明日がいよいよその楽日で、行こうかどうしようかと本当に迷っていましたが、残念ながら諦めました。DVDの発売を鶴首して待つことにします。
http://www.kyoto-station-building.co.jp/cinema/komado/91.html
http://www.kyoto-station-building.co.jp/cinema/07.html
(上記丸山眞男の文章を以下、抜粋)

 先日私は「ロベレ将軍」というイタリー映画を見ました。ごらんになっている方も多いと思いますが、第二次大戦中のドイツ軍占領下のイタリーを背景にとりまして、抵抗運動のあるエピソードを取り扱ったものであります。もちろんここでストーリーを詳しくお話しすることはできませんが、私がそのなかでとくに印象づけられた場面の一つとして、刑務所のなかの場面があります。そこでは戦争中闇商売をやっていた男が、抵抗運動者やユダヤ人といっしょにつかまって、今やまさに処刑されようとしている。死刑になるか強制労働にやらされるか、あるいはドイツに送られるかという瀬戸際のところであります。その闇商売をやっていた男は恨めしそうに、同室の囚人たちに対して、さかんにこういうわけです。自分は何もしなかったのにこういう目にあった、ユダヤ人でもない、抵抗運動もしたことはない、それなのにこんなにひどい目にあういわれはない、私は何もしなかった、何もしなかったと、ヒステリックに叫びます。それに対して元銀行員であったところのレジスタンスの指導者が静かにこういいます。「私はあなたのいうことを信ずる。しかしまさに何もしなかったということがあなたの罪なのだ。なぜあなたは何もしなかったのか。5年も前から戦争が行われている。そのなかであなたは何もしなかったのです」。これに対してその男が「それじゃあなたは何をしたのですか」と聞くと、そのファブリチオという抵抗者は、「私はとるに足らない仕事をしました。ただ義務を果そうと思っただけです。もしみんながそれぞれ義務を果していたならば、たぶんわれわれはこんな目にあうことはなかったでしょう」ということを語ります。
 ここには私の先ほどから話していた問題の核心が、非常に短いが鋭い形で触れられていると思います。つまりそれは不作為の責任という問題です。しないことがやはり現実を一定の方向に動かす意味をもつ。不作為によってその男はある方向を排して他の方向を選びとったのです。ついでながら私がこのやりとりに感銘しましたのは、銀行員あがりの抵抗者が、自分の命がけの行動について、何らヒロイックな陶酔に陥っていないで、自分はじつにつまらないことをしただけのことだ、平凡人が平凡な社会的義務を遂行したにすぎない、といっていることです。