エリック・ウィリアムズ 生誕100年

エリック・ウィリアムズ。今日はウィリアムズの生誕100年にあたる日ですが、実はこの名前、暫く忘れておりました。
最近、再び読み始めることになった川北稔『イギリス近代史講義』の第4章「世界で最初の工業化 ― なぜイギリスが最初だったのか」に「エリック・ウィリアムズのテーゼ」という箇所があって、その中でこんなエピソードと彼の簡単な生い立ちが記されており、以下、備忘のため引用させていただきます。

 少しだけ脱線しますと、阪大に勤めていたころに、総長あてにアメリカ・フロリダのある女性から、昔、阪大に川北という人間がいたはずだけれど、まだいたら連絡をしてくれ、死んでいたら遺族に連絡をしてくれ、という内容の手紙が来たことがあります。差出人はエリカ・コネルさんという方でした。エリカはエリックの女性形ですから、つまり、エリック・ウィリアムズの長女で、結婚してフロリダにいるということでした。お父さんの書いたものなどを集めて、ユネスコに登録する運動をおこなっていて、私が昔ウィリアムズと手紙の連絡をとったことを聞いて、書いたものをほしいということでした。それは現在、ウィリアムズ・コレクションといって、世界遺産になっているそうです。世界遺産というと、日本では白神山地のような自然遺産と、姫路城などの文化遺産が知られていますが、別に「世界の記憶」と言われる、歴史史料の世界遺産があります。日本の史料はひとつも入っていないので、ほとんど知られていませんが、中国や韓国のものは入っていますし、カリブ海のものはけっこうあります。ウィリアムズ・コレクションについては、当時アメリカの国務長官だったパウエルが尽力をしたと聞いています。
 ウィリアムズは、トリニダード・トバゴの黒人で、郵便配達員の息子でした。非常に成績がいいので、周りの人がお金をだしあってオクスフォード大学に留学させました。彼はオクスフォードを首席で卒業します。古典学やギリシャラテン語が専門だったのですが、当時、西洋の古典文化を黒人から習いたいという白人はなく、日本にも職を求めたそうですが、どうしても就職ができなかったといいます。
 そのなかで、自分はカリブ海の黒人奴隷の子孫なのに、ギリシャ哲学など白人の精神的起源を研究するのはおかしいと考え、彼はカリブ海の歴史の研究に大転身をとげます。それと同時に「人民国家運動」という政党を率いて、トリニダード・トバゴ独立運動の指揮をするようになったのです。

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

私の書棚に並んでいる以下の3冊。
帝国主義と知識人』を学生時代にどうして購入したのか今ではよく覚えておりません(川北訳の『コロンブスからカストロまで』は本屋の閉店セールで半額だったので買い求めました)。いずれも未読なのでこの機会に読み直してみようかと思っております。
帝国主義と知識人―イギリスの歴史家たちと西インド (1979年)

帝国主義と知識人―イギリスの歴史家たちと西インド (1979年)

ウィキペディアの以下のような文章を読むと、川北さんの主張にはウォーラスティンのみならずこのウィリアムズの影響がかなりあることがわかりました(ウィキペディアの記述が川北さんの著作の影響を受けている、といった方が適切だったかも)。

歴史学者としても業績は高く、代表著書に『資本主義と奴隷制』(1944年)がある。
ウィリアムズは従来イギリスにおける資本主義成立の要因として挙げられていた内因論(イギリスのヨーマンによる独自の資本蓄積によるとするもの)を批判し、外因論(資本主義の成立はカリブ海の黒人奴隷の重労働と大西洋三角貿易による重商主義的過程によって蓄積された資本によるものである)的見解を提示し『資本主義と奴隷制』の中でこれを実証的に描いた。
中山毅訳『資本主義と奴隷制:ニグロ史とイギリス経済史』理論社、1968年。
なお山本伸の監訳による新訳(『資本主義と奴隷制:経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』明石書店 2004年)は、訳が酷いことで知られている。
この点については、川北稔『私と西洋史研究』創元社、2010年、pp.140-141を参照。

川北さん関連で近藤和彦さんのブログから。近藤さん宛のメールです。

奈良出身の学者で川北稔さんという方がおられます。何冊か読んでいたのですが、この前に「イギリス近代史講義」を読みました。口述筆記したもので、分かりやすかったです。
この本で産業革命についていろいろと学びました。そこで、もう少し掘り下げてみたいと×××さんにメールにて参考文献を教えて貰うとご親切にすぐに何冊かあげていただきました。

文明の表象英国

文明の表象英国

その1冊に先生の「文明の表象 英国」があったのです。この連休に読破いたしました。
私のような門外漢の感想で申し訳ないのですが一言。
まず、大変分かりやすく楽しく読めました。日本の学会の移り変わりについても興味深くよめました。私なんかの学生時代は、大塚先生の全盛のような感じがしたのですがどうもこの頃は違うようですねえ。
川北さんの本を読むと大塚先生のお弟子さんの吉岡先生から若い頃にかみつかれたと書いてありました。そんな時代もあったのかと。
このあたりは、マル経の衰退とも関係があったのでしょうか。
私の息子は、現在大学の経営学部の2年生ですが、マル経なんてまったく聞いたことがないと申します。私らの頃は、とりあえず知ったふりをしたもんですが。
それと近藤先生の本の産業革命に関する記述を読むと、技術革新が動機というより、必要によりだらだらと工業化したというような理解になったのですが、私の理解は間違っているのでしょうか。
工業化にはインフラ整備が欠かせないですが、川北先生の本を読むと、政府の政策
というより地域の地主が土地を提供して例えば道路ができるなりして整備されてきた
と書いてあります。結局、地域の皆さんが必要に迫られて試行錯誤している過程が後から評価すると産業革命と呼んでいるのかと思えます。
私は営業職を長年した経験から、必要がなければ産業は発展しないという信念を持っております。
インターネットの普及は急速でしたが、これは皆さんが望んだからでないですか。奈良県十津川村のような僻地でも光ファバー網が敷設されていますが、これは村の熱い要望があったからです。
そうすると、産業革命も大塚先生あたりの農民の資本蓄積がどうのこうのではなく、綿製品や毛織物を必要とする人々のニーズに応えるためにあれこれ試行錯誤した過程がそうだとも言えるのですが。
どうも大塚先生の考え方というか、マルクスもそうですが生産からものを見る視点が強いように思います。
いろいろとつまらないことを書いて申し訳ありませんでした。
近藤先生にこれから望みたいのは、もっと単著を書いていただきたいと思います。
これだけの本をお書きになるのですから。吉岡先生も本を書かないやつはダメとおっしゃってたようにどこかで書いておられたような。すみません。

http://kondohistorian.blogspot.com/2011/09/blog-post_27.html

川北さんの『イギリス近代史講義』は、私も産業革命の説明はタメになりましたが、英国病など最近のイギリス経済の見方もおもしろかったです。