ラッセルとモーム

昨日、偶然NHKラジオの番組表で斎藤先生の放送「カズオ・イシグロはどこまで日本人なのか」があることを知っていたので、放送前にちゃんと起きて、録音して聴くことが出来ましたが、大いに楽しめましたね。
HPで過去の放送の内容をチェックしてみると、なかなかおもしろそうなので、第5回と第6回の2回分もストリーミングで聴きました。
斎藤先生は自分と同世代なので、受験参考書(旺文社の原仙作『英文標準問題精講』)など懐かしい話が聞けましたし、内容も非常にためになりました。
第5回「ラッセルと受験英語バートランド・ラッセル『幸福論』〜」
第6回「モームはなぜあれほど日本で読まれたのか 〜サマセット・モーム『人間の絆』、『サミング・アップ』」
http://www4.nhk.or.jp/kokorowoyomu/5/
以下、参考までに。
第1回「序-日本と英文学の出会い」
明治期にイギリスをはじめ、ヨーロッパ各国の文学の文学が大量に入ってきましたが、なかでも親しまれたのは英文学ではないでしょうか。特に明治初頭の10年間は教育上も英語が重んじられ、以後も日本人は原書や翻訳などを楽しみ、英文学研究も盛んに行なわれてきました。その作家・作品のなかに昔の日本人は何を見たのでしょうかか。また日本を描いた作家は何をとらえているのでしょうか。

第2回「新渡戸稲造の愛読書 〜トマス・カーライル『サーター・レサータス』〜」
『武士道』の著者としても知られる新渡戸稲造(1862〜1933)は、18歳の時にイギリスの哲学者・歴史家トマス・カーライルの著書『サーター・レサータス』と出会い、以後愛読しました。その本の教えの要諦は「もっとも手近な義務を果たせ」、「自分の手でなすべきことを全力でなせ」ということで、この教えに新渡戸は励まされました。国際人として活躍した新渡戸を教え導いた作品の魅力に迫ります。

第3回「英文学の名作と翻訳・翻案〜チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』と若松賤子“雛嫁”」
明治10年代以降、英文学作品は盛んに翻訳されましたが、その後は原作設定を日本の文脈に置き換える翻案という訳し方が登場しました。西洋の文化や文学研究が十分でなかった時代ゆえに、その訳し方には今からみると妙なものが少なくありません。そのなかからチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』と、その翻訳書・若松賤子(しずこ)の『雛嫁』を取り上げ、当時の翻訳・翻案事情を探っていきます。

第4回「キプリングの東と西〜ラドヤード・キプリング“東と西のバラッド”、『少年キム』」
イギリス人初のノーベル賞作家ラドヤード・キプリングは、大英帝国の繁栄をうたい上げた帝国主義者と言わています。彼の一句「東は東、西は西、両者は出会うことなし」は「東洋と西洋は相容れないものだ」という意味で多く用いられています。しかし、果たしてそうでしょうか。キプリングの『少年キム』を読みながら、彼の真意を探ります。

第5回「ラッセルと受験英語バートランド・ラッセル『幸福論』〜」
イギリスの数学者で哲学者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)の作品は1950年代以降の日本の入試の問題にもっとも多く登場しました。彼の文章が英語教材や試験の課題文として好まれたのはなぜでしょうか。今回はその理由を学校文法への適合性、理論的な明快さ、理知的な内容、そして小さな単位でのまとまりという四つの点から考えます。また、英語教材としてよく利用された『幸福論』を読み解きます。

第6回「モームはなぜあれほど日本で読まれたのか〜サマセット・モーム『人間の絆』、『サミング・アップ』」
日本の入試の問題文に、1950年代以降ラッセルに次いで数多く登場したのは作家サマセット・モーム(1874〜1965)の作品です。その理由は、読みやすいこと、東洋的・日本的な人生観にもあるといいます。ラッセルとモーム、同じ時代に生きた二人の本国イギリスでの文学的評価の違いや文体の相違を比較します。またモームの魅力について、彼の自伝『サミング・アップ』と代表作『人間の絆』ひもときながら考えます。

第7回「カズオ・イシグロはどこまで日本人なのか〜カズオ・イシグロ遠い山なみの光』、『浮世の画家』、『日の名残り』」
今回はノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロを取り上げます。彼は1954年に長崎で生まれましたが5歳のときに父の仕事の都合でイギリスにわたりました。彼にとって日本の記憶はどんなものなのでしょうか。作品を読んでみると日本人的な感性が感じられます。代表作「日の名残り」の主人公、イギリス人の執事が主人に忠誠を尽くす姿は、日本古来の職業倫理そのものと思えます。

第8回「日本を愛するためにやって来た作家〜ラフカディオ・ハーン『知られぬ日本の面影』、『怪談』」
ラフカディオ・ハーン(1850〜1904)は40歳のとき、明治23(1890)年に来日しました。以後日本で暮らしたハーンの作品には精神性に満ちた日本の姿が描かれました。急速な近代化を遂げた明治期に日本を礼賛したハーンの著作は、どれほど日本人を励ましたでしょうか。今、グローバル化の名のもとに、企業や大学で英語を使うことがよし、とされています。もう一度ハーンを読み直すことが必要ではないでしょうか。

第9回「明治初期の日本を歩いたイギリス人女性〜イザベラ・バード『日本奥地紀行』」
イザベラ・バード(1831〜1904)は世界各地を旅し紀行文を書き続けた旅行作家です。1878年に日本を訪れたバードは『日本奥地紀行』に明治初期の日本を描いています。ラフカディオ・ハーンとは異なり、日本や日本人に厳しい記述も少なくありません。彼女はよいことにも悪いことにも過剰反応せず、冷静に受け止めました。バードの残した記述は、よくも悪くも日本と日本人に普遍的にあてはまるものが散見します。

第10回「日本で英語・英文学を教えたイギリス詩人〜ジェイムズ・カーカップ『イギリス人気質』」
ジェイムズ・カーカップ(1918〜2009)は昭和後期、日本人用の英語教科書のための副読本に英語で随筆を多数執筆したイギリス人詩人です。来日した彼はいくつかの大学で英語や英文学を教えました。当初日本に親近感を抱いていましたが、高度成長にわく日本の世相や社会の変化をみて日本に批判的になっていきました。カーカップの随筆『イギリス人気質(かたぎ)』を取り上げ、彼が日本に厳しくなっていった心を探ります。

第11回「西洋文学のなかに禅を読んだイギリス人〜R・H・ブライス『禅と英文学』」
イギリス人文学者、R・H・ブライス(1898〜1964)は昭和13年、39歳のときに来日し、日本で亡くなりました。彼は戦前の、ありのままの日本を愛し、禅を海外に紹介したり、英文で俳句を創作するなど英語による日本文化の発信に大きく貢献しました。しかしブライスは戦後の日本の変化に失望します。彼の『禅と英文学』をなど通して彼の日本への思いをみていきます。

第12回「結〜これからの日本と英語文学」
最終回は、現代日本の英語学習者、特に教養ある英語を身につけたい人にお勧めの作家・作品を紹介します。まず第7回でも取り上げたカズオ・イシグロです。日本人にとって感情移入しやすい内容を豊富に含んでいます。次にイギリス人小説家のディヴィッド・ロッジ。『交換教授』や『素敵な仕事』など読んでいて楽しい作品を書いています。そしてV・S・ナイポールブッカー賞、さらにはノーベル文学賞も受賞しています。