追悼 丸谷才一さん


13日に87歳でお亡くなりになった丸谷才一さん。
今春、氏の『文学のレッスン』から大いにインスパイアされたばかりだったのに。
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20120401/
まだまだ色々と教えていただきたかった、と非常に残念です。
以前、確か丸谷さんの『蝶々は誰からの手紙』が出版された頃、NHKBS「週刊ブックレビュー」の「著者に聞く」というようなコーナーに出演されたのを偶然お見かけしたのが実物を拝むことができた初めてで、そして最後の機会になってしまいました。
以下の事柄が、まず、思い出されます。

高校時代の隣のクラスの奴が、このちょっと派手な表紙の『たった一人の反乱』を抱えていたのを何故かよく覚えていること。
近所の図書館で書庫に眠っていた1972年刊のハードバックを調べてみたら、装幀 原弘、原画 アントニオ・ロベーズ、写真(当時の若き丸谷さんのポートレイト)野上透、とありました。原弘(はら ひろむ)という方、「ブックデザインの天皇」などと呼ばれた装幀者だって、知りませんでした。それにしても当時の本の文字のポイントは小さい、と最近の自分の老眼の進行振りを思い知らされましたね。

また、イギリスの書評文化を紹介する『ロンドンで本を読む』に大いに刺激を受け無謀にも「ロンドンレビューオブブックス(ロンドンで本を読む)」を暫く購読してみたこと。
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20091224

そして上記のとおり『文学のレッスン』から頂いた懇切丁寧な読書案内のこと、であります。
今後ともまだまだ氏の著作から大いに学ばせていただくつもりです。合掌。


(後記)

こんな本があったんですね、やっぱり。
これによると丸谷さんがNHKBSに出演されたのは2008年6月28日のこと。
「800回記念 書評の世界の大先輩を迎えて」というタイトルでゲストとして正にピッタリ。
また、1991年4月7日から2010年9月18日まで全894回放送された中で、ざっと眺めたところ丸谷さんの著作で紹介されたのは次のとおり。2003年8月はゲスト出演されているかもしれません。
紹介された本
・『日本語相談(全5巻)』(放送日 1993.1.10)
・『輝く日の宮』(放送日 2003.8.31)
・『蝶々は誰からの手紙』(放送日 2008.6.28)


(10月14日付け各紙記事その他)
訃報:丸谷才一さん87歳=作家・文化勲章受章
http://mainichi.jp/select/news/20121014k0000m040062000c.html

丸谷さん死去:深い教養とユーモア 「考える快楽」描く 【毎日・重里徹也】

 小説、評論、エッセー、翻訳と多彩なジャンルで縦横無尽に活躍した作家、丸谷才一さんが13日、死去した。その仕事には、古今東西の文学についての広くて深い教養を背景に、日本の近代文学にはそれまでなかった知的でユーモアにあふれた作風が一貫していた。

 丸谷さんが嫌ったのはやたらに暗くて深刻ぶる態度、じめじめと湿った感情的な文章、偏狭なまじめさやえん世的な世界観だった。いたずらにイデオロギッシュな態度やファナティック(熱狂的)な主張も遠ざけていた。

 逆に、知的な市民生活や明るい笑い、健全な楽しみや品のいい態度を好んだ。そして何よりも大切にしたのは「考える」という姿勢だった。

 2003年に10年ぶりの長編小説「輝く日の宮」が刊行された時のインタビューで、ヒロインの杉安佐子について尋ねたことがある。柔軟な発想に恵まれた国文学者で、度胸とちゃめっ気のある女主人公だった。丸谷さんは「僕の好きな女性像を書いたということかしら」と答えた後で、「いろいろと考える人でしょう。僕は人間の最高の遊びは考えることだと思うのです」と解説してくれた。

 日本の近代文学は、少数の例外を除いて、考える快楽というものを書き落としてきたのではないか。それで、文学の楽しみが随分と狭くなったのではないか。そんな主張も教えてくれた。

 国家と個人の関係を徴兵忌避者を通して問いかけた「笹まくら」、戦後しばらくたった市民社会のありようを映し出した「たった一人の反乱」、新聞社の女性論説委員が活躍する「女ざかり」。登場人物たちはみんな職業を持ち、時にさまざまなウンチクを披露する。小説はその時代の風俗から精神まで、浮き彫りにしていく。そんな中で繰り返し、日本とは何か、日本人とは何か、が問われた。

 アイルランドの作家、ジョイス研究の第一人者としても知られた。先輩作家の文章を筆写して自分の文体を磨くのではなく、英語の小説を翻訳することで小説の勉強をしたとよく語っていた。日本文学に幅広い視野をもたらし、そのすべての活動を通じて、この国の文明を批評し続けた文学者だった。

 また、プロ野球・横浜DeNAベイスターズのファンで、クラシック音楽通でもあった。【重里徹也】

      ◆丸谷才一さんの主な作品◆

1960年  「エホバの顔を避けて」

 66年  「笹まくら」(河出文化賞

 68年  「年の残り」(芥川賞

 72年  「たった一人の反乱」(谷崎潤一郎賞

 73年  評論「後鳥羽院」(読売文学賞

 82年  「裏声で歌へ君が代

 84年  評論「忠臣蔵とは何か」(野間文芸賞

 88年  「樹影譚」(川端康成文学賞

 89年  対談集「光る源氏の物語」(大野晋さんとの共著)

 93年  「女ざかり」

 99年  評論「新々百人一首」(大佛次郎賞

2003年  「輝く日の宮」(泉鏡花賞、朝日賞)

 10年  翻訳ジェームズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(読売文学賞

 11年  「持ち重りする薔薇の花」

http://mainichi.jp/select/news/20121014k0000m040066000c.html

丸谷さん死去:本紙書評欄に理想注ぐ 【毎日・井上卓弥】

 13日死去した丸谷才一さんは、かじ取りを任された毎日新聞の書評欄「今週の本棚」に、イギリスの書評ジャーナリズムに親しんだ青年時代にはぐくんだ「新聞書評の理想」を、惜しみなく注ぎ込んだ。

「書評はそれ自体、優れた読み物でなければならない」との信念に基づいた紙面作りは「程度の高い案内者が、本の内容を要約して読者への道案内をする」という、新しい書評となって結実した。

 書評の分量を最大で原稿用紙5枚(2000字)に大幅拡充したほか、書評執筆者名を書名や著者名の前に掲げ、各界の一流の書き手が責任をもって本を紹介、評論するスタイルを確立した。この「今週の本棚」は各紙書評欄にも影響を与え、丸谷さんの理想によって、日本の新聞書評全体が革命的な進化を遂げたといえる。

 02年には、書評をまとめた本を対象とする初めての賞「毎日書評賞」の創設にかかわった。常に本を愛し、大切に思い続けた作家、文学者だった。【井上卓弥】

http://mainichi.jp/select/news/20121014k0000m040068000c.html

丸谷才一さん死去:評論家・三浦雅士さん、イラストレーター・和田誠さん、作家・高樹のぶ子さんの話

 ◇圧倒的視野の広さ−−評論家、三浦雅士さんの話

 突然の訃報に接しぼうぜんとしている。丸谷才一現代文学に果たした役割は計り知れない。小説、評論、エッセー、翻訳と、活躍は多岐にわたる。とりわけ、日本文学を常に世界文学のなかに位置づけるその視野の広さにおいて圧倒的だった。今後、現代日本文学の豊かさが世界的に重要視されてゆくだろうと私は確信しているが、その豊かさの中心に丸谷才一が立っている。豊かさの内実が明らかになってゆくのはこれからなのだ。丸谷才一の文学は、だから死ぬことはない。


 ◇お礼言いそびれた−−イラストレーター、和田誠さんの話

 丸谷才一さんの本の装丁、挿絵をたくさんやらせていただきました。読んでから仕事にかかるので、たくさんの丸谷さんの文章に親しんだことになります。寂しいです。丸谷さんはいつも、ぼくの装丁を喜んでくださいました。そのことがどれほど励みになったかわからないのに、お礼を言いそびれてしまいました。


 ◇夏のあいさつ形見−−作家、高樹のぶ子さんの話

 この夏、「長いあひだいろいろありがたう」というあいさつ状に添えた「なぞなぞにうごきのとまる扇子かな」の句と、みやびな扇子が送られてきた。形見分けのようなことだったと思う。散り際を含め、日本の美を体現した人。私は文学者として「死」から逃げてはならないと思い、「すばらしい死への準備に感動した。自分もそうありたい」という意味の返事をした。だから感傷よりも、見事にやってのけられたと受け止めています。

http://mainichi.jp/feature/news/20121014ddn041040017000c.html

丸谷さん死去 日本に書評文化を確立
http://mainichi.jp/opinion/news/20121014k0000m070094000c.html

丸谷才一さん死去:庄内の風土が生んだ作家 「鶴岡の誇り、残念」 /山形

 鶴岡市出身で、文学史に大きな足跡を残した作家、丸谷才一さんが亡くなった。87歳だった。昨年11月に文化勲章を受章、今年3月には県内3人目の名誉県民にも選ばれた。庄内の風土が生んだ作家の「旅立ち」に、同級生ら親交のあった人々からは惜しむ声が聞かれた。【前田洋平、安藤龍朗】


 ◇同級生へ別れの手紙も

 旧制鶴岡中学校(現鶴岡南高校)の同級生で、同市湯野浜で温泉旅館を経営する菅原一彦さん(86)は訃報に触れると、「ただ、さみしい」と話し始めた。

 今夏、菅原さんの元に丸谷さんから手紙が届いた。7月10日の日付が入った手紙には、病状と余命が数カ月から数年であることがつづられ、「これだけ生きればもう十分。長い間いろいろありがたう」と記していた。

 ワープロ書きの文章に続いて、余白には手書きで「たくさんのメロンありがたうございます。もう数日すると毎日故郷の味を楽しめると喜んでをります」とあった。菅原さんは「丸谷君独特の筆跡で、味わい深かった」。毎年、夏にはメロン、冬には岩のりとふるさとの名産を贈っていた。「丸谷君は、岩のりさえあれば一晩中酒を飲んでいられるほど大好物だった。もう贈り続けて60年以上になる。もうそれもなくなると思うとさみしい」。胸に迫る喪失感を隠さなかった。

 旧制朝暘第一尋常小学校から鶴岡中まで同級生だった同市ほなみ町の内科医、中村純(ただし)さん(86)は「昔から本ばかり読んでいる文学青年だった。近く同窓会を開く予定で、もしかしたら会えるかなと思っていた。体調が悪いと聞いていたが悲しい」と語った。

http://mainichi.jp/feature/news/20121014ddlk06040031000c.html

今週の本棚・この3冊:丸谷才一鹿島茂・選
http://mainichi.jp/feature/news/20121021ddm015070013000c.html

池澤夏樹氏「最期まで見事に現役を貫いた作家」

 作家の池澤夏樹さんの話
 きちんと仕事をし、普通に生活する市民の感覚に根ざした作品を書いた作家は近代以降の日本文学において丸谷さんが最初でした。私は丸谷さんの「笹まくら」を読んで、自分でも小説を書けると思えました。日本の古典文学への強い憧れを持つ一方で、英国の文学を丁寧に読み、類を見ない知的冒険をしてみせた。今年に入っても短編小説を書く意欲を見せ、最期まで見事に現役を貫いた作家でした。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1303W_T11C12A0000000/

追悼・丸谷才一さん
http://book.asahi.com/book/keyword/0361.html

丸谷才一の世界 菅野昭正さんが選ぶ本
http://book.asahi.com/reviews/column/2012102100008.html

<時の回廊>たった一人の反乱
http://book.asahi.com/booknews/update/2012101400001.html

鼎談・読書について 筒井康隆さん×丸谷才一さん×大江健三郎さん
http://book.asahi.com/booknews/update/2012101500001.html