浜田近況

島根県浜田市主催の講演会に出向くため、富山駅で「島根県の浜田まで」と言ったら富山〜新大阪〜新山口〜浜田と乗り継ぐ切符が手渡された。8時に富山を出て、浜田駅へ着いたのは午後の4時だった。8時間も電車の中にいた。浜田に着いてわかったことだが、岡山から来るコースもあり、広島から来るコースもあるという。特に広島から高速バスで来るのが一番良いのだという。そんなことは知る由もなく、浜田駅へ降りて感じた印象は、人口5万7千の市の玄関口にしては淋しい気がした。駅前の商店街に活気が見られない。おそらく町村合併による人口だろうと思った。
明日の午前の講演のための前泊であった。予約されたホテルにはレストランはなく、近くのラーメン屋で餃子とラーメンを食べ、チェックインした。そのホテルに大浴場があるのが有難かった。早速ゆっくり湯につかって早々に床についた。床について目をつむった時、確かマルクス史観の思想家服部之総は浜田出身ではなかったかと思った。確かめるため起き上がってパソコンを開いて確認した。ついでに服部之総三木清親鸞ノート批判などを読んでいたら結局いつもの12時過ぎの就寝になってしまった。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~amitaabha/

ときどき覗いている青木新門さんの、本日の「新門日記」に浜田の近況がこのように書かれておりました。
私がお邪魔した2011年4月の時点でも「駅前は一段と寂しくなったようです。JR浜田駅が新しくなり駅裏にできた医療センター(旧国立浜田病院)と直結している姿と実に対照的」でしたから心配です。
http://d.hatena.ne.jp/yasu-san/20110503/
大浴場があったというホテルはその時は確かまだ無かったはず、と思って調べたら2008年4月オープン、とのこと、今度は是非利用してみたいですね。
http://www.gr-hamada.com/
翌日の新門日記と合わせて読むと同じ日本海側なのに富山から浜田がいかに遠く交通不便かが良くわかります。冬のこの時期でなければ車で走った方が早いかもしれませんね。

2月7日(土) 島根 晴れ


浜田市の同和人権教育推進会主催の講演会であった。ホテルへの迎えの車で浜田総合福祉センターへ。250席の大会議場は満席であった。いつもそうだが、90分の予定が2時間話していた。時間オーバーしたことを詫びたら、担当所長さんは「もっと聴きたかった」と言われた。昨夜思い出した服部之総のことを聞いてみたが、訊ねた二人とも知らなかった。この浜田に生まれ、東大を出て、戦後の知識人の間でマルクス史観の思想家として注目され、中央公論の初代の出版部長として鳴らした服部之総、しかも「自分の立つところは故郷の農民にある」と言っていた人物が故郷の人たちに忘れ去られていた。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたも、かつ消えかつ結びて久しくとどまるためしなし」


鴨長明の「方丈記」の名言を思い出しながら、浜田駅まで送ってもらって、帰路に着いた。帰路は1時に浜田駅を出発して米子〜岡山〜新大阪と乗り継いで富山に着いたのは10時。車中でうとうとしながら次作の童話の構想を練っていたので時間はさして気にならなかったが、9時間も座っていると、さすがに尻が痛くなった。