映画 「沈まぬ太陽」

本日から公開される映画「沈まぬ太陽」。原作の単行本が刊行されて10年、読む前に観ることになりそうな感じです。

この写真を見た感じでは、沈まぬ太陽、とは主人公がアフリカの大地で眺めた太陽のことのようですが、現在、原作のモデルとなった、日の丸を背に世界の空を飛んできたJALが、まさに沈みかけています。国交省が必死で再建策を検討中ですが、いずれにしてもこれも何かの縁なのでしょう。
原作についてはこんな批評があります。参考までに一部引用させていただきました。

高尾健博『論談小話』  小説「沈まぬ太陽」余話(平成12年6月5日)


沈まぬ太陽」は一体フィクションなのかノンフィクションなのか。
一応フィクションのスタイルはとっているが、この小説を読んだ人は舞台は日本航空でそこに登場する人物は実在の人物と思っている。記者もたくさんの人に「恩地氏は」「行天氏は」と登場人物について聞かれる。しかも、第三巻の御巣鷹山編の御被災者はほとんどが実名そのままである。
この小説の最大の罪は小倉寛太郎氏を極端にまで美化している事だろう。小説に描かれている小倉氏の組合活動、その後の行動はほとんどがでっち上げである。フィクションにしろ一回も御被災者の世話役をやった事のない小倉氏を世話役の中心メンバーに仕立て上げた事はこの小説の致命的な欠陥だろう。
涙を誘う著者のテクニックには感心するばかりだが、それだけに基本的部分で嘘があったら、読者をだました事にならないだろうか。少なくとも、リストラに次ぐリストラにもめげずにまじめに働いている多くの日航社員はこの小説を読んでどんな思いに駆られるであろうか。
それにしても、この小説の登場人物はあまりに類型的である。小倉、伊藤両氏は神様のように描かれているが、行天(架空の人物)、八馬(吉高)、堂本(高木)、和合(石川)、石黒(黒野)、轟(大島)氏たちは悪の権化のように書かれている。人間とはそう単純に割り切れる動物だろうか。
記者が最も巧妙で、しかし、悪質だと思うのは行天氏のキャラクターとその役回りである。行天氏は小倉氏の行動を次々に邪魔をしてはのし上がっていくが、小倉氏の悲劇性のうちかなりの部分に影響を与えている。架空の人物だから何をやらしてもいいという発想からか、最後は石黒(黒野運輸省航空局総務課長の贈収賄事件にまで発展させていく。これでは黒野氏の名誉毀損のみならず、運輸省の名誉まで傷つけられてしまう。
最近、黒野氏と会ったが、本人が怒っているのはもちろん、「高尾さん、この問題で何か書くのであれば、私の実名で事実関係をはっきりと否定して下さい」と言われた。企業や役所にとって贈収賄事件で社員や職員が逮捕されるのは社会的ダメージが大きい。罪深い小説である。
小説を読みながら、また関係者の取材を続けながら、記者はある思いにとらわれた。小倉氏、伊藤氏、そして山崎氏に共通する特徴的な性格を見出したからだ。それを一言で言うと被害妄想、誇大妄想という事である。
伊藤氏は明治維新の志士、江藤新平の末裔である。伊藤氏は祖母から「国賊になったおじい様の汚名をそそぐのですよ」と言われながら育ったと、ある雑誌のインタビューで答えている。
伊藤氏は江藤新平に関する本はすべて読破したと言っている。伊藤氏の経営手法が江藤新平の生き方に似ているのはそのためだろう。 江藤新平の生涯を描いた司馬遼太郎氏は小説「歳月」の中で江藤新平の人格を次のように描いている。以下は薩長閥をいかに退治するかの議論のくだりである。
「佐賀がひとたちたちあがれば、薩摩の久光党も西郷党もたちあがるだろう。土佐はむろん板垣の号令のもとにたちあがる。その連合をもって長州を討つ。長州をほろぼしてのち、残る薩を土佐と連合して討ち、薩がほろんでのち、土佐閥・佐賀閥はみずから解散し、政治を天下公のものとする」薩長の者がきけば戦慄するような策謀である。
しかし、実際はどうであろう。実際は薩摩の内情や西郷の性格、意中などは、江藤にはよくわからないし、また土佐が無邪気にたちあがるかどうかについても、江藤にはその現実が把握されていない。現実把握という知恵については江藤の頭脳はまるで欠落していた。そういう知恵がないというよりも、江藤の思考法を傾がせている僻が、現実把握の知恵や心のゆとりといった機能を圧迫して閉鎖させていたといったほうがいいであろう。 
自然、江藤の思考法から出る策は、きわめて図式的であった。その策は色彩があざやかで描線がくっきりしており、要するに論理こそ明快すぎるほどに明快であったが、しかし、現実から致命的に遊離していた。逆に言えばその遊離しているところが論理的明快さとなり、その明快さが江藤の信念を固めさせ、ひいては他を酔わせた。さらには敵に対し、策士の印象をあたえた。
要は三人に共通するのは現実把握の能力の欠如であり、自分達の描く描線の鮮やかさに酔いしれている事である。伊藤氏の日航が置かれた政治状況や社会状況、それに社内の人心掌握と理解の欠如。小倉氏の見通しのなさとごまかしの人生、山崎氏の確信犯とも言える事実を捻じ曲げた創作、劇画とも言えるストリー展開など鮮やかな共通項がある。しかし、それに酔わされた周囲の人たちや読者こそが人生や人生観を誤り、大変な迷惑を被っていることを三人は肝に銘ずべきだ。

http://www.rondan.co.jp/html/ara/yowa3/index.html

沈まぬ太陽」が映画化
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090712/tnr0907120746005-n1.htm
沈まぬ太陽」燦々と映画製作
原作者の山崎氏は「個性的なキャストとえりすぐりのスタッフが映画製作に勇気を持って挑戦してくれた。原作者として本当にうれしい」とコメントを寄せている。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090717/tnr0907170817002-n1.htm
苦難乗り越え「沈まぬ太陽」あす公開 テーマは命の尊厳
現在、日航は経営再建の真っ最中だが、若松監督は「たまたまタイミングが合っただけ。命の尊厳というテーマが底辺にあり、一人の男の生き方を通して友情や家族を感じ取ってもらう映画だ」と強調した。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/091023/tnr0910230755002-n1.htm