ノモンハン戦争とはなんだったのか

ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)

ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)

カルチャーラジオ
日曜カルチャー「ノモンハン戦争とはなんだったのか」(5)終

第5回
ノモンハンその後〜今日の日蒙関係】 一橋大学名誉教授…田中克彦
第5回は「ノモンハンその後 今日の日蒙関係」。太平洋戦争直前の1939年の5月から9月にかけて当時の満州国モンゴル人民共和国の間で繰り広げられた国境紛争「ノモンハン戦争」。同じモンゴル人だったハルハ族とバルガ族が戦ったその後、日本とソ連の関係など今回は数々の資料や証言、研究などを元にノモンハン戦争がどのような背景で起こり、この戦争は一体何だったのかを検証していきます。
一橋大学名誉教授…田中克彦

第1回
ノモンハン前夜〜モンゴル人民共和国満州国一橋大学名誉教授…田中克彦
ノモンハン戦争とはなんだったのか」第1回は「ノモンハン前夜〜モンゴル人民共和国満州国」。1939年5月に満州国モンゴル人民共和国の間でハルハ河近傍の国境線をめぐり発生した紛争は宣戦布告がなかった故に「ノモンハン事件」と呼ばれてきました。4か月にわたる戦闘では双方で2万人の死傷者を出し、1年あまりの後には太平洋戦争へとつながっていきます。「ノモンハン戦争」がなぜ起きたのかその背景を探ります。

第2回
ソビエト連邦とモンゴル〜ソ・モ相互援助条約】 一橋大学名誉教授…田中克彦
第2回は「ソビエト連邦とモンゴル〜ソビエト・モンゴル相互援助条約」。満州地域の対ソ国境について問題となっていた中、1935年1月にモンゴルと満州国との国境で「哈爾哈廟事件」が勃発、国境交渉のために「満州里会談」が開かれますが不調に終わります。1936年3月、モンゴルに脅威が発生する場合、ソ連が必要な援助を行うというソ連とモンゴル間で相互援助条約を締結。やがてノモンハン戦争へとつながっていくのです。

第3回
ノモンハン戦争】 一橋大学名誉教授…田中克彦
第3回は「ノモンハン戦争」。1939年5月に発生した「ノモンハン戦争」について、日本軍とソ連軍とが衝突した「第一次ノモンハン事件」、ソ連軍の越境攻撃と日本軍のタムスク爆撃が行われた「第二次ノモンハン事件前半」、ジューコフ攻勢から停戦までの「第二次ノモンハン事件後半」、そして停戦協定締結交渉などその経過を追います。4か月の間に双方2万人の死傷者を出したノモンハン戦争の実際の状況を解説します。

第4回
【バルガ族の運命】 一橋大学名誉教授…田中克彦
第4回は「バルガ族の運命」。ノモンハン戦争の発端となった国境地帯での小競り合いは、モンゴル軍はハルハ族そして満州国警備軍は主にバルガ族から成り、いわばモンゴル族同士の戦闘でした。当時、モンゴル人民共和国ソ連満州国は日本のかいらい国家で戦闘が激しくなるとソ連軍と日本軍が前面に出ることになります。今回はモンゴル族統一の実現の動きもあったノモンハン戦争におけるモンゴル諸族の動きについて解説します。

※汎モンゴリズム
http://www4.nhk.or.jp/P1940/28/