「同じ日本で、ここまで差があるとは」

朝日新聞の注目の連載 「公貧社会」。

日本がかつてない少子高齢化社会に向かう中で、「公」のほころびが広がっています。
医療や年金制度は揺らぎ、都市と地方、正社員と非正社員など様々な格差は深刻になるばかり。
その一方で、税金のむだ遣いは後を絶ちません。
困った時の支えとなるのが「公」の役割だったはずです。
そんな機能が失われた今の日本を、私たちは「公貧社会」と名付けました。
                           朝日新聞(2008年7月12日)

本日のタイトルは「『自治』をめざして」。その第1回。
地方分権の名の下、平成の大合併三位一体改革が行われましたが、これによって地方がいかに疲弊したかを青森・津軽の今別町の取材や東京23区との比較で見事に浮き彫りにしています。
これまで、東京一極集中の弊害(東京プロブレム)が叫ばれ、世界の主要国を見渡してみて中央集権の国は日本だけ、との問題意識から、「地方分権改革」が推進されてきたはずです。
しかしながら、「分権」でなく「自治」を、という今日の記事の主張には説得力がありました。地方分権という考え方、その進め方には大きな問題があったし、あると考えざるを得ません。
そういえば、今年の9月、東京大学の金井利之教授が「分権改革のいまをどうみるか」について講演され、「自治日報」によると概ね以下のような内容だったそうですが、朝日新聞のこの記事を読むと、ますます金井教授の言われる通りだな、との感を強くします。

地方分権改革は継続しているが、改革課題が自己増殖し、制御不能な「永遠に未完の改革」の状況を呈している。
自治体には、自治が充実したとの実感が乏しく、むしろ実態は、①市町村合併による混沌化、②地方財政の窮乏化、③各種国策の推進による集権化、が進んでいる。
結果として「地方分権」はこれらの惨状、窮状を覆い隠す壮大な偽計として機能している。


市町村合併による混沌化
市町村合併では、半世紀にわたり蓄積された自治体制を消滅させた。長期的には「創造的破壊」の期待もあるが、短期的には分権改革の果実を実現させず、失望感を高めた。
地方財政の窮乏化
財政危機により「貧すれば鈍す」状態となり、地方が一丸となって一般財源拡充の統一要求を貫徹すべきなのに、税源移譲論の煙幕に騙されて、挙げ句の果てに地方税源の再配分的譲与となってしまった。
③各種国策の推進による集権化
右肩下がりの21世紀前半の自治は、これまでの自治と社会経済条件が異なり、今後は、
自治制度官庁(「分権」を「自治体が多くの業務・権限を保持すること」とする視点での用語)は行革・財政健全化を進めつつ中央集権的統制を強化
・全ての国民・地域・自治体への行政サービス確保は放棄
自治体は乏しい国の支援をめぐり熾烈に競争し、国策への隷従度合いが強化
④その他
分権改革には多数の自己矛盾の陥穽がある。国政が自らの権力を弱める分権をなぜ決定するのか。政府は近い将来政権を失うと予期しないかぎり分権改革には不熱心。該当するのは村山政権だけ(以下、引用者の私見ですが、最近の麻生政権もかなりこれに近いのではないでしょうか。ということは、かなり期待できる、ということかも?いよいよ岡本秘書官の腕の見せ所、というところでしょうか)。


→ いずれにせよ、分権改革の今後の展望、見通しは暗い。        (第23回自治総研セミナー 2008.9.17)

そういえば金井教授の著書のタイトルにも「分権」の文字はなく「自治」でした。

自治制度 (行政学叢書)

自治制度 (行政学叢書)

また、金井教授と同じく神奈川県の自治基本条例検討懇話会のメンバーである駒澤大学の大山礼子教授も「分権」について以下のようなことを述べておられますが、全く同感です。

これからさらに分権を推進するということになると、ちょっと立ち止まって、自治体側の自己革新というか、特に住民参加、住民との関係をどうしていくかということを改めて考えていかないと、これ以上、分権、分権といっても限界があるのではないか。


地方分権改革というのはややもすると、何か擬人化された国と県と市町村というのがあって、国と県と市町村の間の権限の争奪戦みたいなことになりかねない。その間の関係の見直しというのは確かに大事ですけれども、よく考えてみますと、私たち住民としては、例えば小田原市民の人たちは神奈川県民でもあり日本国民でもある。そう考えると、主権者は私たちなので、日本国と神奈川県と小田原市が権限争いをしているというのは、なぜかということになろうかと思います。国は国民の意思で動くべきだし、県は県民の意思で動くべきだし、市は市民の意思で動くべきだと考えると、そこのところを抜きにして、あたかも国民とは無関係の国があり、神奈川県民とは関係ないところに県があり、小田原市民とは無関係なところに小田原市があるかのような三者の権限移譲とか、関与のルール化ということだけに話が終始していてはちょっとおかしいのではないか、ということがあろうかと思います。要は、私たちからすれば、分担が三者の間でうまくいって、我々にとって一番いい世の中になればよいわけで、どっちが勝ったからよいということではない。しかし、やはり勝ち負けの話になりがちなので、当事者としての気持ちはよくわかるのですけれども、それをもう一回考えていただきたい。
                    (神奈川県地方分権フォーラム 2007.5.15)

http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/01/0111/forum/19_forum/01_odawara/kouen.html