頭の中に歴史のファイルを!

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

昨日のBSフジPRIMENEWSに著者の加藤陽子さんがゲストで出演されていました。
とても感じのよい先生ですね。
http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d091204_0
http://www.asahipress.com/soredemo/
http://www.asahipress.com/soredemo/teisei.html
福澤諭吉日清戦争吉野作造日露戦争に対するコメントを番組のフリップで紹介されたり、太平洋戦争開戦時に、まともな中国学者英米に宣戦布告したことを「明るい戦争」と言っていた(その「まともな中国学者」が竹内好だったということは初めて知りましたが)と述べておられましたが、当時の生の資料を踏まえて歴史を学ぶことは本当に大切だと思います。
そういえば最近パラパラと読んだ『おもしろい歴史物語を読もう』の中で、徳富蘇峰が50代を過ぎてから書き始めたという『近世日本国民史』全100巻の価値は、そこに引用されている当時の生の資料の豊富さにある、と著者の杉原志啓さんが述べていました。
それにしても、太平洋戦争の開戦に至る作戦を実質的に遂行した当時の軍部のエリート将校たち、ほとんどが40代でしたが、その多感な少年時代に彼らは、日露戦争の成功談をさんざん聞いて成長したはずだということを踏まえて歴史を考える必要がある、との加藤さんのコメントには注目させられました。
彼らは「後になれば勝てないが今ならアメリカに勝てる。今アメリカに戦いを挑んでおかなければ後々後悔することになる(大坂冬の陣、夏の陣の例)」と信じて、躊躇する天皇に開戦を説いた、というのです。こういう思考回路には一世代、30年くらい前の記憶が決定的な影響を及ぼしているはずです。
同じことは先の敗戦時に「もう二度と戦争はしない」と鮮烈な経験をした世代の意識にも言えるでしょう。戦後の絶対平和主義的な思想は悲惨な敗戦の経験がなくては成り立たないし、一般国民の支持も得られなかったはずです。
今や敗戦の経験を知らない世代が国民のほとんどを占めているのが現代の日本です。
そこでは戦争や平和に対する考え方、意識も変らざるをえないでしょう。戦後60年余が経過して、三世代目に当たる現代の高校生に加藤さんが「歴史の学び方」を訴えたかった、というのも頷けます。番組の最後にフリップで、在位20年の今上天皇が「過去の歴史的事実をたくさん知ることによって未来へ備える」と述べられたことを引き合いに「頭の中に歴史のファイルを!未来に備える為に」と訴えておられました。
今、司馬遼太郎さんの代表作『坂の上の雲』のTVドラマが話題になっています。司馬さんは日露戦争がどんなに日本に犠牲を強いた戦争であったかを渾身の筆で書き込まれましたが、その根底には「昭和は暗かったが明治は明るかった」という思いがありました。
このドラマの描き方によっては、明るい明治の記憶の再生、その側面が強調されすぎてしまうのでは、とも思います。
いずれにしても歴史を学ぶ必要性を痛感しました。12月8日を前にして良いTV番組を見ることができました。本書を是非読んでみたいと思っています。
以下、2007年6月に出た著者の書評を集めた『戦争を読む』はしがきより抜粋。

採りあげた本は、時代を画するに足ると私が信じた本であるから、書き手の大切な声を聴きとり、現代における意義を明らかにすべく努めた。だが、私の頭のなかには常に、「次なる戦争がいかなる形態をとり、いかなる論理を装い、まったく思いもつかなかった筋道で起こってくるのか」その瞬間を見極めたいとの強い願望があったために、書き手の大切な声をどこまで正確に聴きとれたのか、多少とも心もとない気持ちはある。
何を読んでいても、何を論じていても、思いは常に戦争に帰っていった。因果な性分だと思うが、私には、「戦後」が自明であった社会の空気が、耳を澄ませて何かを待つ「戦前」の雰囲気をまといはじめたように感じられてならないのだ。
だが、歴史は一回性を特徴とするから、近い過去の戦争から「いつか来た道」というフレーズに集約できそうな教訓を引きだすだけでは、あまり説得力がない。まして、歴史的な事例を警告として用いて人々の覚醒を促そうとするのは、理性の敗北を自ら認めるようなものである。
歴史家にできることは、「相対化することによって正当化し、正当化することによって相対化する」という歴史主義の立場から、なぜ我々の父祖が、歴史と国家と自己を一体のものとする感覚を身にまとい戦争を支持していったのか、そのプロセスをグロテスクなまでに正確に描きだすことだけだろう。
たとえば、太平洋戦争は、明治維新以来、天皇を戴くことで近代国家としての発展が可能となったとの歴史観を深く抱くようになっていた日本人にとって、日本人の社会契約=国体観をめぐる、連合国と日本との戦争であった。よって、外交交渉や軍事衝突の裏面で進行していた、歴史観、国体観の原理主義的な改変過程を、学問的に了解可能なことばで解きあかすことなど、今後は特に重要になってくると思われる。

戦争を読む

戦争を読む

ヨーロッパ戦後史(下)1971-2005

ヨーロッパ戦後史(下)1971-2005

トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史 Postwar: A History of Europe Since 1945』(2005)より。

記憶が自己を確認し自己を強化してゆくのとちがって、歴史は世界を幻想から救い出すのに役立つ。
歴史が提供すべきものの多くは不愉快なものだし、破壊的でさえある―だからこそ、過去を倫理の棍棒にして振り回したり、過去の罪科を理由にある国民を打ちすえたり激しく非難したりすることは、必ずしも政治的に賢明とは言えない。
しかし歴史は学ばなければならない―そして定期的に学び直さなければならない。