個人全集の愉しみ

私にとっての個人全集の愉しみといえば、通常、この手の全集の最終巻に入っている詳細な「年譜」を徒然なるままに拾い読みすることです。
古い版の漱石全集しか自分の書棚に並んではいないのですが、これまで、漱石以外にも司馬遼太郎吉田健一、あるいはルソー、ヴァレリーといった全集の該当巻を図書館で借りてきてはパラパラと眺めつつ「この年譜だけを取り出して1巻の書物にしてくれたら買うのになあ」などと思ったりしていました。
それが今回、丸山眞男竹内好の全集の該当巻(『丸山眞男集別巻』と『竹内好全集第17巻』)を図書館で借り出し、「人名索引」にも目がいってしまいました。また「著作目録」では発表順に並んでいる文章の、それぞれの時代を思い浮かべながら眺めていると楽しかったです。
まず政治学者の丸山ですが、その著作でバーリンには当然言及しているだろうと思って「人名索引」を見てみると、かろうじて2つの巻にあるようです。

 調べてみると第12巻のそれは「海賊版漫筆」(「図書」1983.3)。第16巻は「南原繁著作集内容見本」(1972.10)と「みすず1990年読書アンケート」でした。
 第12巻の「図書」に掲載された「海賊版漫筆」はなかなか読ませる文章です。バーリンと雑談した折、EHカーの『平和の諸条件』(1942年刊。丸山が持っている本がこの海賊版。広島への原爆投下前に宇品の古書店で入手したとのこと)について、読みようによってはこれはドイツへの「利敵行為」だ、との非難めいたものがバーリンの言には籠められていた、というのです(これは何時頃のことでしょう。丸山が Oxford にいたのは1962年10月から63年3月まで、と75年5月から6月までですが、83年の文章なのでおそらく1975年のことでしょうね)。
 丸山はこの「海賊版」を入手したいきさつの中でこの本を知った経緯を述べています。兵隊に行く前、東大の合評会のような場で矢部貞治が紹介したそうですが、矢部の報告を聞きながら丸山は「むしろ戦争の真只中にこれだけ自国を中心とする「味方」の歴史的過誤を鋭く剔抉するイギリスの自由の伝統の底力にひそかに驚嘆の念を禁じえなかった」そうです。
 それにしても、OEDで pirate を調べる話から始まって、丸山の軍隊時代の思い出など厭味な感じも若干ありますが、さすが丸山、と感じさせる文章でありました。
 第16巻の『南原繁著作集』の内容見本には、南原の著作を読むことが「政治哲学は今なお存在するか」(Iバーリン)と痛切に問われる状況のなかで、いよいよ意義を増すのではないだろうか、とありました。ただ、この文章の「解題」(松沢弘陽執筆)で、この引用は1962年に発表されたバーリンの Does Political Theory Still Exist? が念頭にあった、とありますが、原文(フランス語)は1961年の発表です(この日本語訳がみすず書房バーリン『自由論』に入っており、福田歓一さんの「あとがき」にも1962年とあります。これは1966年に生松敬三さんが編訳されたバーリン初の単著『歴史の必然性』に1962年刊のラスレット、ランシマン編「哲学、政治、社会」論集からこの論文が訳されたため1962年発表、とされているのでしょう)。
http://berlin.wolf.ox.ac.uk/lists/bibliography/index.html
 雑誌「みすず」の「1990年読書アンケート」では、3点挙げたうちの1つにバーリンの‘Joseph de Maistre and the Origins of Fascism ’(New York Review of Books, 27 September 1990, 57–64, 11 October 1990, 54–8, 25 October 1990, 61–5)を取り上げ「ド・メイストルをファシズムの元祖と見ることには異論もあろうが、バーリンの手にかかると何でも面白くなってしまうのが不思議」と述べていました。

丸山にはこの著作集以外に『書簡集』が全4巻、対談集である『座談』が全9巻あって、さらに『回顧談』が上下2冊あります。加えて、丸山没後に発見された著作や対談、講演録をまとめた『話文集』が全4巻、さらに『講義録』も全7巻出ているというすごい状況ですので、間違いなくバーリンにはもうちょっと多く言及されていることでしょう。
次に中国文学者の竹内ですが、司馬遼太郎にどれくらい言及しているかなと思って「人名索引」を調べると、こちらも2つの巻にありました。おそらく「国民文学論争」に関係する文章でしょう。
因みに丸山の著作には司馬への言及はありませんでした。

 調べてみたら「国民文学論争」には全く関係ありません。竹内はどうやら司馬のファンだったようです。これにはちょっと意外な感じがしました。
 第10巻のそれは勁草書房から1970年3月に出た『中国を知るために』第二集の「復習一回」という文章。元は雑誌「中国」の第50号に連載第45回として掲載されています(1968.1)。前号の文章で毎日新聞のコラム「憂楽帳」の記事について書いたことでこのコラムに近親感がわいた、として「まだファンとまではいかないが、司馬遼太郎さんの小説と囲碁欄の次には「憂楽帳」がお目あてである。おまけに私がふだん手にするのは「毎日」1紙だから、その比重たるやますます大きい」と書いていました。
 当時、司馬さんが毎日新聞に連載していたのは『峠』ですね。なるほど。
 第3巻には「魯迅を読む」という1976年10月に行われた岩波文化講演会の講演筆記の中にありました(初出は「文学」(1978)。竹内は未見のまま1977年に死去)。これも毎日新聞に同年9月まで連載され、司馬の作品中ではいまひとつとの評もある『翔ぶが如く』についてこう述べています。
 「司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』ですか、西郷を主人公にした小説がありましたね。新聞に連載してずいぶん長篇で、やっと完結しましたが、あれは西郷が死んだところで終わるかと思ったらそうじゃなくて、そのあとまだ大久保が暗殺されるまでありまして、そのあとにつけたりとして川路という日本の警察制度をつくった、これは小説の最初に出てくるやつですが、この三人が死ぬところで終わっているわけです。私はあの小説だけは新聞に連載中にわりと愛読していたのです。あれはどういうところで結末になるかとひそかに想像していたのです。西郷が死ぬところで終わるというのがいちばん平凡だけれども、そのあとまただらだら、と言っては悪いですね、まだまだ続きがあるわけです。これはひょっとすると意外な展開があるかもしれないと思っていたら、パッと終わりました。やはり司馬さんだなと思ったのです。というのは、もし司馬さんほど近代的な人でなければ別の書き方もできた。つまり西郷が死んだあと、民間伝承で星になるわけですよ。西郷星という星になる。そこに死後の星になったというのが書き込まれれば、これはとても近代的な小説とはいえないでしょう。そういうのは中世の文学ですよね。だから司馬さんがそういうことをやるはずがないので、それは当然であるけれども、魯迅ならそれをやる。現にやっているという例証が幾つかあるわけです。」
 さらにこんなことも言っていますが、これを読んで、昔、学生時代に藤田省三先生の「東洋政治思想史」の集中講義を聴いた折にも同じようなことを言われ、それが私が司馬遼太郎という作家をそれとして意識した最初だったことを思い出しました。
 「ちょうどわれわれの年代ですと、子供のころ読んだ立川文庫というのは、ものすごくわれわれのなかに入っているんですよ。肉化しているわけです。ですから、いまの日本人の年取った、50から上か、私は66ですけれども、60から上でもいいですが、そういう日本人のメンタリティーを外国人がいちばん手っ取り早く見るには、立川文庫、いま復刻が出ていますから、そういうものを読むのがいいのじゃないですかね。私なんか立川文庫なり伊藤痴遊の講談で歴史の勉強をしたようなものです。いまは司馬遼太郎がいちばんいいテキストですね。」

立川文庫とは「大阪の立川文明堂が発行した」「水戸黄門、大久保彦左衛門ら実在の人物から、猿飛佐助、霧隠才蔵ら架空の存在まで、英雄豪傑が活躍する」「小型の講談本」で「1911年に刊行を開始した」そうです(『日本の近現代史をどう見るか』2010.2, 84)。
また竹内には専門の中国文学に混じって1962年4月の「わが『戦争と平和』」という文章があるようで、これは河出書房新社から出た世界文学全集「トルストイ」の巻の月報に載ったものですが、ちょっと興味を引かれました。なにせ今年はトルストイ没後100年、竹内生誕100年の年ですから。
この文章は飯倉照平さんが編まれた文藝春秋の「人と思想シリーズ」の『日本と中国のあいだ』にも集録されているようです。この本の存在には、3巻の『評論集』を入手して以来まだ買えそうだと気になっていましたが、残念ながらもう無理なようです。

 飯倉さんの編集付記には竹内が1942年1月号の「中国文学」に書いた巻頭言「大東亜戦争と吾等の決意(宣言)」全文が採録されていました。
 私は、この文章の存在自体、加藤陽子さんが『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で引用されているのを読むまで知らなかったのです(同書のタイトルが正に竹内の思想を問うている、と言えるでしょう)。
 竹内は1972年の文章で次のように心情を吐露しています(同じく編集付記より)。
「私はあの宣言を、雑誌編集の責任者として書いた。書くからには、むろん、相当の熟慮があった。しかし最後は決断、すなわち賭けである。あの宣言を書いたのがよかったか悪かったか、賭けは成功したか失敗したか、この判定は私をながく苦しめた。」
「いまなら簡単にいえることだが、あの宣言は、政治的判断としてはまちがっている。徹頭徹尾まちがっている。しかし、文章表現を通しての思想という点では、自分はまちがっていると思わない。他人にどう断罪されようとも、私はあの思想をもったまま地獄へ行くほかない。」
「戦後の私の言論は、自分が編集者としてあの宣言を書いたことと切り離せないと自分では思っている。たとえば、太平洋戦争の二重性格という仮説や、『近代の超克』論の復元作業などは、人はどう思うか知らないが、自分では賭けの失敗が根本の動機になっている気がする。」

以上、これまでの個人全集では、索引といえば人名索引くらいが限界だったと思います。しかしながら、OED第二版全20巻のようにこれらの個人全集が1枚のCD−ROMに記録されれば、特定の作家の文章の中から人名のみならずあらゆる事項についての検索が可能になる、その昔なら何人もアルバイトを雇って紙の全集から探し出すという気の遠くなるような作業だったのが、一瞬にして、あらゆる字句の検索が可能になるのです。まるで夢のような時代ではないでしょうか。
グーグルの取り組みにみられるような電子図書館構想も結構なんですが、出版社には『ザ・漱石』のCD−ROM版のような『ザ・丸山眞男』『ザ・竹内好』といった電子化を是非とも望みたいものです。

ザ・漱石(上)

ザ・漱石(上)